Author: Ryosuke

森元斎『国道3号線』

共和国、2020年。

第1章 新政府か反動か、あるいは…西南戦争・山鹿コミューン・アジアの革命
第2章 水俣病と悶え
第3章 炭鉱と村
第4章 米騒動

「国道3号線」というラインに掲げて、九州の民衆史を辿ろうという試みは魅力的だ。抵抗の民衆史としてアクチュアルな主題でもある。

しかし、軽い。取りあげている人物や事件は、たしかにひとつひとつ意味の深いものなのだが、対象が重いだけに記述の軽さがいっそう際立つ。たとえば、石牟礼道子の悶えを取りあげても、結局のところ著者自身はその悶えを共有してはいない。あるいは、やすやすと共有していると思っているところで共有していない。かといって、その分だけ、学者としての立場を徹底しきるというわけでもない。「民衆史を掘り下げる」と言っているが、資料・調査の面か、あるいは分析・思考の面か、いずれかで執念深く掘りさげる深度がほしい。

良心的ではあるのかもしれないけど、石牟礼道子の世界によりは、『苦界浄土』に描かれていた、どやどやと水俣に押しかけた医学者や運動家たちに近い。10年20年をかけても、次作ではこの印象を裏切ってもらいたい。

[J0181/210731]

アーロン・L・ミラー『日本の体罰』

石井昌幸、坂元正樹、志村真幸、中田浩司、中村哲也訳、共和国、2021年、原著は2013年。

序章 第1章 人類学と体罰
第2章 日本の体罰史―その重層性
第3章 体罰とコンテクスト
第4章 倫理
第5章 体罰の原因と文化の複数性
第6章 権力の言説、言説の権力
終章 「暴力的文化」の神話
補論 アメリカ合衆国における体罰

著者はアメリカ人で、オックスフォードで社会人類学の学位を取得した人とのこと。いかにもあちらの社会人類学の手法で書いた研究という一冊。(別にネガティヴな意味でそう言うわけではない。)人類学的研究と言えば厚いエスノグラフィーを期待してしまうところ、フィールドワークから直接得た材料はあまり多くはないが、この主題ではやむをえないところ。

R.ベネディクトの日本論を相対化し、体罰に関する「文化主義」的な見解から距離を取る。代わって、より歴史化した解釈を提示するとともに、日本文化を一枚岩ではなく多様な立場や解釈の絡み合いという見地から理解しようとする。フーコーの規律権力論を背景のひとつとしているのも「いかにも」だが、このフーコー的解釈が成功しているかは微妙なところ。

個別の指摘でおもしろいと思ったのは、体育教師は体罰教師の役割を演じるように強いられているという指摘で、それは森川貞夫や菊幸一による指摘もすでにあるらしい。また、体罰を含むヒエラルキー的構造が「チームらしさ」の感覚に結びついているという指摘。

事象のレベルで手薄なのは、軍隊教育とその影響に関する記述と考察。目も覚めるような分析とはいかなくとも、社会人類学のアカデミックなフォーマットで日本の体罰についてまとめたという点で価値のある本。

[J0180/210731]

細谷昂『日本の農村』

ちくま新書、2021年。

Ⅰ 日本農村を見る視座
第一章 「同族団」とは何か
第二章 「自然村」とは何か
第三章 歴史を遡って──農村はどのようにつくられたか

Ⅱ 日本農村の東西南北
第四章 日本農村の二類型──東北型と西南型
第五章 まず西へ
第六章 南と北
第七章 「大家族」(家)制と末子相続

Ⅲ 「家」と「村」の歴史──再び東北へ
第八章 「家」と「村」の成立──近代以前
第九章 「家」と「村」の近代──明治・大正・昭和

終章 「家」と「村」の戦後、そして今

 とくに前半は日本の農村社会学のレビューとなっていて、これが有益。日本の農村社会学といえば、ヨーロッパ直系の社会学とも、あるいは民俗学とも一定の距離のある、独自の領域を形づくっていて取りつきにくい印象がある。農村社会学のトピックを易しく紹介した入門書としては鳥越皓之『家と村の社会学』(世界思想社、1985年)あたりがあるが、学説史の紹介となると硬い記述のものしか見あたらない。

 その原因のひとつは、学者ごとの見解のまとめと、事象やその地域差に関するまとめが別々に記述されがちなことにあるが、著者はモノグラフごと・研究ごとに紹介をしてくれており、しかも古いモノグラフにありがちな難解さ、曖昧さを「難解であるが無理にまとめれば」と、原著書の記述を尊重しながらうまく処理してくれている。ありがたい。

 具体的には、有賀喜左衛門の岩手県石神調査、福武直の秋田県大館と岡山県川入村の研究、松本通晴の近畿農村研究、北原淳・安和守茂の沖縄農村研究、田畑保の北海道農村研究、柿崎京一の岐阜県白川村研究、内藤完爾の鹿児島農家研究などであり、後半部分は主に著者自身の山形県庄内研究から成っている。

 これらの研究蓄積のレビューから分かることは、簡単な類型化を許さない、日本における家や村のあり方の多様性および柔軟性であり、著者は結論として「ただ一つだけ、雇傭労働力による大農場はない、ということは確認できただろう」と述べている(306)。いかにも弱い結論のようだが、別の言い方をすれば、雇い入れ型の形態を採ってきていないということは、日本津々浦々、何からのかたちにおける地縁・血縁組織のもとに農業が営まれてきたという意味で、驚くべき多様性と柔軟性を備えた――明治民法下の「家」はそのあり得る形態のひとつでしかない――「家」の存在感を証しているということになるだろう。

 なんなら、逆方向の仮説を立てることもできそうだ。つまり、日本社会、少なくとも日本の農村社会は、たんなる契約雇傭関係を生じさせないがために、家や同族といった理念を巧みに運用し作り変えながら村落共同体を成立させてきたのだと。

[J0179/210728]