慶應義塾大学出版会、2019年。思想史におけるルードルフ・オットーの位置づけならびにその思想内容について、最大限丁寧で平易な解説がなされた書、いままで類書はなかったのでは。インド学と西欧の宗教学と双方に造詣の深い著者ならではの一冊。現在の宗教学では批判の対象として扱われることの多いオットーであるが、本書はそうした批判的動向も意識しながら、バランスのとれた記述となっている。
本書副題にあるとおり、オットーの思想が「宗教学の原点」になっていることがよく分かる。考えてみれば、M.ミュラー、R.オットー、M.エリアーデと、みな東西宗教の比較に携わっていて、文献学以上の領域に踏み込んだパイオニアがオットーだと、そんなイメージも湧いてきた。(ミュラーも読まな・・・・・・)
序章 宗教学の誕生―十九世紀ドイツの神学と宗教学
第1章 キリスト教神学者としての生涯
第2章 東洋への旅―原点としてのインド
第3章 「聖なるもの」の比較宗教論
第4章 宗教史学派の影響と宗教の展開性
第5章 東洋と西洋の宗教における平行性
第6章 「絶対他者」の概念とヒンドゥー教
第7章 救済の思想としてのヴェーダーンタ哲学
第8章 新たな宗教理解ヘ向けて
結論 オットーの三つの顔
本書は、ルター派神学者、宗教哲学者、比較宗教の宗教研究者という三つの〈顔〉について、オットーの思想やその道程を辿っている。宗教現象学者として扱われることの多いオットーであるが、『聖なるもの』(1917年)を含め、彼の研究はあくまでキリスト教神学の一環として為されたものだという。宗教現象学者としてのオットーという理解は、M.シェーラーが普及させたものらしく、オットー自身は現象学的研究に否定的な見方をしていたという(92)。
当時の学的状況との関連についても記述は豊富で、興味深い。たとえば、オットーはN.ゼーデルブロムとも友人であったが、「聖性」に関する論考でいえば、ゼーデルブロムが『宗教倫理事典』(1913年)に寄せた論文の方が早いという(49)。
宗教の深層的意味レベルに迫るオットーの概念、「イデオグラム」に注目するくだりは、著者自身の井筒俊彦研究との関連も想像させる。
ここのところ、華園聰麿『宗教現象学入門』(平凡社、2016年)、前田毅『聖の大地――旅するオットー』(国書刊行会、2016年)と、日本語で近づける充実したオットー研究が複数出版されている。単著はまだのようだが、本書で紹介されている藁科智恵氏の研究もおもしろそうだ。
[J0077/200821]