Author: Ryosuke

Paul C. Rosenblatt, Bitter, Bitter Tears

Paul C. Rosenblatt, Bitter, Bitter Tears: Nineteenth-Century Diarists and Twentieth-Century Grief Theories, University of Minnesota Press: Minneapolis, 1983.

19世紀の日記から死別悲嘆の様子をたどって、グリーフ・ワークの理論を再考するという書。まだ全体をちゃんと読んではいないのだが、「絆の継続」モデルを主張する初期の業績といえるのかな。以下、目次を掲げる。

序
第1章 日記から死別悲嘆を研究する
 なぜ日記で死別悲嘆を研究するのか
 サンプル
 日記作者は変わった人だろうか
第2章 日記は死別悲嘆の真実を伝えているだろうか
 喪失に関する最初の記事
  後からの理解
  日記作者の、喪失が生じた時点の理解
 死別悲嘆のパターン
  いつ日記作者は喪失について考えるのか
  死別悲嘆の機会
  理由のなさそうな喪失への言及
 結論:データの妥当性
 結論:死別悲嘆のダイナミクス
第3章 グリーフ・ワークの理論
 フロイトの「喪とメランコリア」
 グリーフ・ワークの失敗
 グリーフ・ワークの諸段階の理論
 想起理論とグリーフ・ワーク
 日記とグリーフ・ワーク
第4章 死と分離の予期
 予期の段階では何が起こるか
 日記データにおける「予期」と死別悲嘆
 要約と結論
第5章 健康、医療的ケア、死別悲嘆
 幼児や若い子どもの死
 母親の死
 終末期ケアと死別悲嘆
 要約
第6章 死や別れに対する悲嘆の時間経過
 死や別れに対する悲嘆の経時変化
 喪失への言及の経時変化
 死と別れの比較の含意
第7章 別れ:遺す者と遺される者
第8章 いっそうのグリーフ・ワークを必要とする死別悲嘆
 関係の近さ
 同居
 関係の持続
  兄弟の死
  子の死
  親の死
  配偶者の死
  関係の持続に関する結論
第9章 死別悲嘆をコントロールする
 感情コントロールに対する日記作者の関心
 死別悲嘆をコントロールする動機
 死別悲嘆をコントロールする方法
  一貫しないしかたで感情と関わる
  自己教唆
  故人を思い出すのを避ける
  故人を認知上最小化する
 感情コントロールは効果があるか
 コントールのコスト
 コントロールにおいて繰り返される死別悲嘆の効果
第10章 死別悲嘆と家族システム
 変化への抵抗
  故人の夢と、存在の感知
  心霊主義
  祈り
  天国での再会
  行動の導きとしての故人の希望の援用
 故人の代替
  伴侶の仕事をするための誰かを見つける
  代替としての神
  再婚
  代替と親子関係
  子の命名と代替の追求
 所有物の継承に関する議論
 泣くための肩と、援助する人
 要約と結論
第11章 グリーフ・ワーク理論や諸理論の修正へ
 奮闘
  断絶と感情コントロール
  断絶の認知的源泉
  奮闘と段階的撤退
 グリーフ・ワークの経時変化
  予期
  年齢と思い出への反応
  記憶と希望のダイナミクス
 発達理論、象徴的相互作用理論、記憶理論
 何が信じられるのか
付録A 日記を扱う
付録B 日記作者
付録C 統計について

[J0244/220228]

金菱清『震災学入門』

ちくま新書、2016年。

第1章 いまなぜ震災学か―科学と政策を問いなおす
第2章 心のケア―痛みを取り除かずに温存する
第3章 霊性―生ける死者にどう接するか
第4章 リスク―ウミ・オカの交通権がつなぐもの
第5章 コミュニティ―「お節介な」まちづくり
第6章 原発災害―放射能を飼い馴らす

副題の「死生観からの社会構想」とは、ややイメージがちがうかな?

「災害における「高台移転」、「防潮堤」や「災害危険区域」、そして「原発避難区域」の議論は、科学的因果関係のもと、いつのまにか被災者の暮らしの目線を通さないまま、生きるか/死ぬかという単線的な生存の議論にすり替わっている」(28)

「心のケアセンターでケア活動に従事した心理療法家の岩井圭司も、自戒を込めて、以下のように言っている。すなわち、個人が癒やされれば集団も回復すると私たちは考えがちだが、被災地のコミュニティの互助機能を回復させることが心のケアの上で重要であるという逆方向の波及効果こそが重要であり、また必要なのだと強調している」(52)

「防災の専門家である片田敏孝も、防災は行政の役割という考え方が当たり前になっているが、これはとても危険だと指摘している。危険地域に堤防をつくるのは行政の仕事、浸水想定区域をハザードマップで示すのも行政の仕事、避難の必要があれば防災無線で知らせてくれる、これら自分の命を守ることに対する主体性が失われ、災害過保護状態が顕著で、その結果として人為的につくり上げた安全は、物理的な、確率的な安全性を高めたが、人間や社会の脆弱性をかえって高めることになっていると警鐘を鳴らしている」(109-110)

「大津波で海のすぐそばにあった自宅すべてが流失し、漁具を仕込んでいた店舗も大きな被害を受けた齋藤欣也さんは、「防潮堤を立てると海と〝喧嘩〟をするようなもので、何か良からぬことが起こる。海を怒らせてしまうのではないか」と言う」(120)

「同じ津波被災沿岸域でも、大雑把に規定すると、宮城県の南三陸町以北と石巻市以南では、このような津波を含む海難死の対処に大きな違いがある。・・・・・・常襲か非常襲かの津波の頻度によって、それに対処する人間の文化的装置もかなりの違いがある」(132)

[J0243/220228]

春日キスヨ『百まで生きる覚悟』

副題「超長寿時代の「身じまい」の作法」、光文社新書、2018年。

序章 「ご長寿本」ブームのその先
第1章 「普通の元気長寿者」の日常生活
第2章 元気長寿者にとって、「歳をとる」ということ
第3章 家族の揺らぎと長寿期生活リスク―「ヨロヨロ期」のために備えない高齢者たち
第4章 昭和期生まれ高齢者と「歳をとる」ということ
第5章 「ヨロヨロ期」の超え方、「ドタリ」期への備え方
第6章 今、何が求められているのか―「成りゆき任せ」と「強い不安」の間
終章 長寿時代を生きる「身じまい」のすすめ
おまけの章―「具体的な準備」の一例

看取る側としても、将来看取られる側としても、人ごとではない話。

僕自身、調査論文の中で「「今を一生懸命生きる」という人気の言い方は、自分が衰えた状態を考えたくない逃避の一種である可能性がある」という趣旨のことを書いて、そのことをずっと気にしている(「死と「迷惑」」)。この本でも、70歳・80歳を超えてなお、「ネガティブなことは考えない」とか「成りゆき任せ」にして、「意思表示をしない」人たちがいかに多いか、ということが述べられている。著者の言い方では、平均寿命の延伸について「ピンピンコロリ」や「生涯現役」ばかりが訴えられ、「身じまい文化」の重要性が気づかれていないという。

著者はまず、「成りゆき任せ」になる制度的背景として、介護保険の利用が、病気やケガで倒れたときにはじめて、手続きや契約が開始される点にあると指摘(228)。それから、昭和期生まれ高齢者は、① 兄弟姉妹数が多く、介護経験のない人が多い、②地域のつながりが薄れ、③病院・施設が普及して、身近に在宅暮らしの弱った高齢者と触れあう機会が少ない、といった仮説を挙げている(248-249)。これらはつまり、「人間はどんなに元気でも歳をとれば弱り、人の手助けを必要とするようになり、介護を受け、死んでいく」というあたりまえのことを知る人生経験が、昭和期生まれの高齢者には少ない」ということだと(249)。加えて、少子化という人口学的変化、この世代の親子関係の性格、子世代で生じた急速なシングル化といった社会変化が「根底的な理由」になっていると述べる(250)。この問題は、自分としても掘りさげていきたい。

この本を読んで気づくことのひとつは、案外と一人暮らしの人の方が、人任せにせず、自己決定や具体的な準備を進めるケースもあるということ。家族で暮らしている人のほうが、苦手な人がいるようだ。「先を考えて、決める」ということは、そういう実践の積み重ねと、もしかしたら一定の適性も必要だったりして、誰でも当たり前にできることではないのだなと。

この本で一番印象的なのは、とてもたいへんな状況を説明しているのに、危機をあおる感じがそれほどなく、どこか楽天的なニュアンスも漂っている著者の筆致。切羽詰まった状況だけでなく、生き生きとして暮らしている高齢者や、準備をしっかり進めている高齢者の実例を紹介してバランスがいいということもあるだろうし、家族社会学の第一人者でありながら、「社会問題を暴く」的な、大上段に構えたところのない筆者自身の姿勢の反映でもありそう。

[J0242/220225]