Author: Ryosuke

長谷川町蔵・大和田俊之『文化系のためのヒップホップ入門2』

アルテスパブリッシング、2018年。

Introduction いま一度、How To ヒップホップ入
第1部 ゼロ年代のヒップホップ:『文化系のためのヒップホップ入門』復習編
第2部 2012年のヒップホップ
第3部 ジャズ×ヒップホップ[1]ゲスト:柳樂光隆
第4部 2013年のヒップホップ
第5部 ジャズ×ヒップホップ[2]ゲスト:柳樂光隆
第6部 2014年のヒップホップ
Postscript あとがきに代えてお送りする深夜のチャット再び

2011年に出版された第一弾に続いて、目を通してみる。第二弾である本書のキャッチは、2012年から2014年のシーンを振り返るとなっている。前作がしっかり一冊の本という体裁になっていたのに対し、今回は雑誌記事を読んでいるような感覚。

今回は、ヒップ・ホップの現場だけでなく、日本での「聴かれ方」にも焦点があり、簡単に言えば、前作よりも知っているアーティスト名が多く出てきて、その分読みやすく、その分情報量が少ないとも言える。

大和田さんが、イギリスのフィルターがかかると「アメリカ的なダサさとかイナタさが殺菌されて、とてもキレイなサウンドになる」と、ブラン・ニュー・ヘヴィーズの「真夜中のオアシス」のカバーだけは許さないと言っているくだりなどは(僕は許せる派だが)、なるほどそういう感覚は分かる気がするな、と。まあでも、アメリカ音楽の話ではあっても、ヒップ・ホップの話ではないね。

ほかに興味深い話題としては、PSYやBTSのアメリカでの成功の話。まさに、新時代の現象で、おそらくヨーロッパの状況とも違うのでは? また、日本の歌謡曲がサンプリングされているという指摘があって、例の「シティポップ・ブーム」を考える上でも、ヒップホップという角度からの示唆になっている。具体的には、豊島たづみ「とまどいトワイライト」をサンプリングしたヤング・ジージーの「Seen It All」や、ハイ・ファイ・セット「スカイ・レストラン」をサンプリングしたJ.コール「January 18th」などが挙げられている。

[J0369/230527]

米原万里『オリガ・モリソヴナの反語法』

集英社文庫、2005年。原著は2002年。小説だし、まったく自分の読書傾向には入ってこないのだが、なんでかポチったものを読了。ポチったのは、かつてのチェコやソ連の状況が分かるから、みたいな理由だったろうか、それも覚えていない。たしかに、なかば、1960年代にチェコのソビエト学校に学んだ著者の実体験にもとづいた物語であるらしい。

解説の亀山郁夫氏のように、「女ドストエフスキー」とまで持ち上げる勇気はないが、たしかに場面転換のしかた(多くは物語中物語で回想やノートの記述なのだが)は、ロシア小説のように演劇的。また、登場人物や時代がつぎつぎ入れ替わっても、読みにくくない。人物描写で言うと、主人公たちがその足取りをたどっているオリガ・モリソヴナの矜持あるキャラクターが、ラーゲリへの強制収容等々といったた陰鬱な舞台設定にもかかわらず、この物語全体の雰囲気をどんよりとしたものにはさせていない。

ふだん小説を読まない僕なので、かなりがまんもしながらこの長編のページを繰っていったわけだが、最後のどんでん返しのところではびっくり。どんでん返しのストーリー自体もそうだけども、これってまさに、精神の障害を負った人が最期に正気をとりもどす「終末期覚醒」ではないか。この部分はフィクションだろうか。終末期覚醒で学術論文書いた人って、僕を含めて日本にひとりとかふたりとかだと思うけど、めったに読まない長編小説の結末でこの主題に出くわすとは、なんとも奇遇。

ほかにひとつ、ロシア小説一般との比較も想定しながら指摘するとすれば、チェコやロシアの話のわりに、宗教やそれに関した心性を感じさせる部分がないんだよね。最後の告白では「天国」や「最後の審判」という表現が出てくるんだけど、どうしてか、どこか比喩的な表現のように響く。そのへん、日本的な視点から書かれた小説と言えるかもしれない。

[J0368/230525]

ビタリー・グザーノフ、鈴川正久『ロシア戦士の墓』

発行者鈴川正久(自費出版)、1993年、全173頁。

目次
1  駐日ロシア大使チジョーフ氏のことば
2  編集のことば
3  サモイロフ陸軍大佐の報告
4  ロシア正教ニコライ大主教の手紙及び墓地の現状報告
5  墓碑の名簿作成について
6  各墓碑明細(松山、泉大津、長崎の墓地)
7  日本各地に漂着せるロシア水兵収容状況
8  ロシア将士捕虜収容状況
9  ロシア戦士の墓碑、記念碑、その他の写真

日露戦争時、日本で亡くなった捕虜のほか、日本海海戦などで死体として流れ着いたロシア兵の墓が全国各地で建てられた。点在していたそれらの墓は、のちに長崎や松山の墓地に合祀されたが、本書はその埋葬者(墓碑)のリストで、ロシア側の資料とも情報を突きあわせている。

墓碑の数だけメモしておいたので、それだけあげておきましょう。この数はおおよそ埋葬者数と一致するが、あくまでおおよそで、重複等あることに注意。

松山 98
泉大津 89
長崎 75(1つは合祀碑)

新たに長崎に移送・合祀されたもの
 習志野から 34(1名松山80と重複)
 広島から 31
 福岡から 17
 名古屋から 15
 熊本から 14
 金沢から  10
 伏見から 7
 姫路から  6
 対馬から 5
 小倉から 4
 仙台から 4
 福知山から 3
 高崎から 3
 舞鶴から 4
 久留米から 3
 豊橋から 2(長崎に既存の個人墓と重複)
 善通寺から 2
 大里(佐世保)から 2
 丸亀から  1
 大津から  1
 静岡から  1(長崎個人墓と重複)
 「琴平丸の戦中病院における死亡者」3(他の記録ではさらに6名)

こちらの墓地ですね。
https://www.city.matsuyama.ehime.jp/kurashi/kurashi/bochi_noukotsudo/russian_soldiers.html

本ブログで取り上げた参考書。
>吹浦忠正『捕虜たちの日露戦争』(NHKブックス、2005年)

[J0367/230519]