東京大学出版会、UP選書、1980年。よくまとまっていて、50年前の宗教学や人間学の様子を知るには良い。
序章 人間の学としての宗教学のために
第1章 宗教の座:人間の脳
第2章 宗教の系統発生:初期人類と宗教
第3章 宗教の個体発生:個人と宗教
第4章 宗教の進化
終章 宇宙のなかの新しい地位
この領域の第一人者による著書だけに、哲学的人間学が、今日の認知科学に通じている部分と同時に、当時における限界もみえてくる気がする。章タイトルだけみても、「宗教の系統発生」と「宗教の個体発生」といったもの。近いうちに記事を書くつもりだが、もっとちがう境地に達していたはずのローレンツを訳していてもこうなっちゃうのだな。
「とくに注目しなければならないのは、前頭葉が不安の棲み家であるという事実である」(48)。「われわれ人間にとって、未来の予知ほど望まほしきものはない。・・・・・・そして恐らく、宗教のひとつの源泉も(死の意識および死後の運命をめぐって)」(49)。うーん、そういう考え方。さらには、釈迦やパウロの履歴を、大脳の右半球・左半球の働きから説明する。うーん。
「宗教が人間の無力感と依存心に対応していることは、すでにさまざまな形で証拠だててきた通りである。ただ、その無力感や依存心は、系統発生的適応の結果として人間の遺伝機構のなかにプログラミングされている自然本性に基づくものであり、フォイエルバッハやマルクス主義者が考えるように、社会構造の改革や科学的知識の進歩によって片のつくような簡単な代物ではない」(211)。
「欲求や願望を非合理的に充足する方法という点では呪術と同類だが、代償的あるいは仮構的にそうするのではなく、欲求や願望そのものを一度否定して他の生命エネルギーへ転化もしくは昇華させる方法の体系としての宗教は、技術的な対処方法の発達によって、たしかに出る幕を減らされてきた。呪術ともども、宗教の活躍する領域は今後も縮小されるだろう。だが、人間の個人的および社会的な生体恒常状態が崩壊の危険にさらされる混沌状態から人間を救うという宗教の種族維持的合目的性は、これまた人間が超人に進化して、「等しきものの永遠回帰」という虚無に耐え、ニヒリズムに陥らないための「運命愛」の英雄主義をわがものとするのでもなければ、とうてい消滅することはないだろう。宗教は人類が無慈悲な――というより、本来、慈悲とはなんの関係もない――原生的自然のなかで生き残るための適応手段の一つとして発生し、適応性が優れていたためにいよいよ高度に洗練され、ますます深く衝動化されてきた自然本性なのである」(218)。
うーん、分かるけどもなあ。それでも、哲学的人間学はもうちょっと読んでおきたい。
[J0655/260401]