Month: August 2026

鈴木宏昭『類似と思考 改訂版』

ちくま学芸文庫、2020年。うーん、評価の高い本のようだけど、ここまで冗長に書く「意義」が分からなかったな。こちらの根気の問題か。

はじめに
第1章 ルールに基づく思考と文脈依存性
1・1 内容独立のルール利用
1・2 人間の非論理性:条件文推論
1・3 条件文推論の文脈依存性
1・4 集合関係理解の文脈依存性
1・5 抽象的ルールの利用可能性
1・6 抽象的ルールはなぜ用いられないのか
1・7 知識の文脈依存性
第2章 類似の諸相
2・1 貶められた類似
2・2 概念と類似
2・3 帰納と類似
2・4 記憶と類似
2・5 言語と類似
2・6 学習の転移と類似
2・7 創造と類似
2・8 類似性判断のモデル
第3章 類似を思考へ拡張するために
3・1 特徴とはなにか
3・2 特徴の顕著さとはなにか
3・3 高次認知における類似:構造とゴール
3・4 類似の変動を規定する要因
3・5 類似の次元
3・6 問題解決文脈における類似判断
第4章 類推とはなにか
4・1 類推の基本図式:ベース、ターゲット、写像
4・2 類推における対象、性質、関係
4・3 日常生活における類推
4・4 学問における類推
4・5 社会と類推
4・6 思考のツールとしての類推
4・7 人はいつから類推するか
第5章 類推の認知科学的な研究へ向けて
5・1 プロセスとして類推を考える
5・2 ベースの検索
5・3 写像
5・4 既存の理論の問題点
第6章 準抽象化に基づく類推
6・1 類推はなぜ可能か:カテゴリー化による同一化
6・2 準抽象化
6・3 準抽象化を媒介とした検索と写像
6・4 準抽象化の動的生成
6・5 人間の認知における準抽象化
6・6 まとめ
第7章 類推のこれまで、そしてこれから
7・1 本書は何を主張したのか
7・2 思考の統一理論は可能か
付録 準抽象化理論と他の理論
1 多重制約理論
2 構造写像理論
3 概念メタファー説
4 P-prim理論
5 漸進的写像理論
6 Copycat

概念というのは明確なルール=定義的特徴からなるという従来の常識に対して。ウィトゲンシュタインに影響を受けたというロッシュについて。「ところがこの常識をひっくり返す研究がエレノア・ロッシュという研究者によって始められ、爆発的に広がった。これらの研究が示したことは、(1)果物、鳥などの日常の概念(自然概念と呼ばれる)には、ほとんど場合定義的特徴は存在しないこと(家族的類似性)、(2)人が挙げる「定義」はその概念にとって本質的でない特徴に基づいていること(特徴的特徴)、(3)概念の事例には「それらしさ」、「それっぽさ」を表す典型性が存在することである(グレード構造)。」(56-57)
>E. Rosch, Principles of categorization, In E. Rosch and B. Lloyd eds, Cognition and Categorization. 1978.

「きわめて例外的な状況を除けば、人間の推論は不確実な前提からなされている。経験から作られた準抽象化、あるいは動的に構成された準抽象化は、そもそもそれが確実に妥当かどうかはわからない。また、適切な準抽象化が検索されなかったり、生成されないこともあるだろう。さらに、準抽象化内の要素が、正しくターゲットに写像されるかどうかも不確実である。これらの不確実性がすべて取り払われた時に、推論ははじめて演繹的となる。このような見方をすれば、類推が演繹に還元されるのではなく、演繹こそが類推の特殊ケースとも考えられる」(260)。

「演繹と機能は一般的に全く別の形式の推論と考えられている。しかし、上述したように、準抽象化に基づく類推という考えを導入することにより、これらの間には密接な関係があることが示唆される」(262)。

[J0683/260801]

朝野維起『昆虫はなぜ海にいないのか』

ちくま新書、2026年。研究の過程や生物化学の複雑な話も解説してしてくれて、臨場感がある記述。

第1章 昆虫の科学
 1 マクロな昆虫研究
 2 研究手法の発展
 3 分類学の革命
 4 外骨格そのものに関する研究
第2章 昆虫の誕生
 1 昆虫の起源についての仮説
 2 海の昆虫、甲殻類
 3 原始六脚類は、昆虫未満?
第3章 昆虫を昆虫たらしめるもの
 1 そもそも昆虫とは?
 2 鍵は外骨格
 3 外骨格で起きていること
第4章 昆虫は酸素をどう利用しているのか
 1 メラニン合成
 2 昆虫のサイズ
 3 酸素と外骨格
第5章 昆虫はなぜ海にいないのか
 1 水に戻る
 2 どのような昆虫が海にいるのか?
 3 昆虫が海にいない理由

ポイントは、1995年付近から提唱されて現在支持されている解釈だという、甲殻類と昆虫(六脚類)が近い種で、汎甲殻類(Pan-crustacea)から分かれた動物だという考え方。つまり、昆虫はもともと海にいた甲殻類の一部で、陸上環境に進出して、マルチ銅オキシデース(MCO2)と呼ばれる酵素を用いた外骨格硬化を行う昆虫になったのだと。本書では、タイトルの問いに唯一の回答を与えているわけではないが、理由の一部は「もともとカニなんかがいるから」という話なわけである。ただ、なぜ海に再進出しないか/できないかという問いが残っている。

マルチ銅オキシデース(MCO2)の利用の反面には、甲殻類が外骨格を固くするのに用いる「カルシウムからの決別」(114)があったという。陸上は、海中に比べると、カルシウムを得ることが難しい環境にある。一方、MCO2による外骨格形成は酸素分子を用いるとのこと。カルシウムを用いない外骨格硬化は軽量化というメリット(副産物)があり、昆虫が飛翔できる理由にもなっている。ただし、翅のように乾いた構造になると、そこからさらに脱皮して傷を修復することはできなくなる(翅ができてから脱皮するのはカゲロウのみ)。このような具合で、陸上環境に適応しすぎたというのが、海に昆虫がいない理由(のひとつ)のようである。

昆虫のサイズに関して、ひとつの要因として指摘されているのは、酸素運搬に必要な気管系の容積が、ある程度のサイズ以上になってしまうと確保できないとのことである。過去にいた巨大昆虫は、酸素分圧が高い年代に生息していたとのこと。また、水中にいる甲殻類とは異なって、脱皮後の体を支持することが難しいという仮説も挙げられている。

海周辺にもそれなりに昆虫はいるものの、海水環境に適応している昆虫は非常に稀だそう。卵から成虫まで、すべて海洋環境で暮らせる唯一の外洋性昆虫と呼ばれるウミアメンボは、海表面にいて海水中にいるわけではない。海棲哺乳類に寄生して深海に潜るアザラシシラミは、繁殖のときは陸上でなくてはならない。ウミユスリカは成虫期には空気中にいるが、それ以外は海中に暮らしており、そもそもがクマノミ並の適応力を持っていることで知られている。

[J0682/260801]

歌田明弘『ウォーホルの青春』

柏書房、1992年。「じつはこの本は、1960年代という時代の渦中のウォーホルを追うことが目的ではない。彼が時代の中心を占めるちょっと前の時代、まだ無名で、アメリカン・ドリームを夢見て、苦闘し、泣き叫び、悲鳴をあげている時代の彼、それがこの本の主人公だ」(6)。プラス、なんだかんだ活躍後のこともおもしろいし。

プロローグ:ゴシップの快楽
1 ぼろ服アンディ
2 グレート・マザー
3 地下にもぐった私生活:消えゆくウォーホル
4 ファッショナブル・ゲイ
5 「アンダーグラウンドの帝王」
6 アンドロイド・ウォーホル
7 独身者の欲望
8 ポップ・アーティストの誕生:大衆社会の霊媒
エピローグ:青春の終わり

「ウォーホルは、他人のゴシップを暴きたてる本を出したり、ドラッグで半狂乱になった人間たちを映画に撮ったり、他人の「深層」にはとてもつもなく関心があったし、暴きたてることにも何のためらいもなかったが、ただひとつ、彼には耐えられないことがあった。それは自分の「深層」を、弱みを暴きたてられることだ」(138)。そういう目で作品をみると、合点がいくところがある。ものごとの表層だけをピックアップしているようにみえて、それは同時に「自分側」に目線がいかないように、というような。

「ジャスパー・ジョーンズは、その年〔1958年〕の1月、ポスト抽象表現主義の牙城となったレオ・キャステリのギャラリーで、初の個展を開いた。新人アーティストの扱いとしては異例なことに、『アート・ニュース』誌の表紙にとりあげられた。またいくつかの作品を近代美術館に買い上げられ、わずかのうちに美術界の寵児となった」(212)。
「ジャスパー・ジョーンズの華々しいデビューからわずか二ヶ月後、ジャスパー・ジョーンズの愛人だったらラウシェンバーグが同じレオ・キャステリのギャラリーでショーを行い、時代の変貌をいよいよ明確なものにする。・・・・・・ このふたりのたてつづけのデビューが、ウォーホルにダブルパンチのようなインパクトを与える。ふたりのデビューによって、ファイン・アートの世界から彼を拒んでいた壁が音をたてて崩れていった。ジャスパー・ジョーンズもラウシェンバーグも、ゲイで、コマーシャル・アート出身で、作品に具象をとりいれた。ウォーホルを拒んできた要素を三つともくつがえしてしまったのだ」(213)。
「ウォーホルによっては、まさに好機到来だった。・・・・・・しかし、ジャスパー・ジョーンズとラウシェンバーグにとっては、自体は正反対だった。名前を隠すことなく仕事をしていたアンディと違い、ふたりは周到にも、ショー・ウィンドーの仕事は仮名でおこない、そのコマーシャル・アーティストとしての「前科」を可能なかぎり覆い隠し、ゲイであるそぶりも見せないようにしていた。だから、ウォーホルに妙な仲間意識をもって近づかれるのは迷惑以外のなにものでもなかった」(215)。

[J0680/260801]