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友川カズキ『一人盆踊り』

ちくま文庫、2019年。

目次
向って来る人には向って行く
恩師 加藤廣志先生のこと
兎の天敵
春の信号

ボーンと鳴る
たこ八郎さんのこと
たこ八郎が居た
たこ八郎と中原中也

寂滅

「覚」オメデトウ

朝の骨
おとうと
借金
他人の確立
故郷に参加しない者

デッサンを始めました
洲之内徹さんの事
フトンの中のダッシュ
間村さんとクレー
絵のこと腰のこと


にごり酒と四十男
夜の水
競輪が病気なら治らないでほしい
「それはもう、滝澤正光!」
気づいてみたればここはメッカ

中上健二さんのこと
ガキのタワゴト
死を教えてくれた作家
ガーベラ

私に私が殺される
一番下の空

神楽坂「きもち」
藤荘12号室
ユメの雪
空を遊ぶ――弟覚の七回忌に
花々の過失
天穴
武蔵野日赤病院四百五十号室
犬の帰り道

欧米七か国・一人盆踊り出たとこ勝負
マッコリ・老酒・高粱酒 お茶の子さいさいアジア紀行
病気ジマンもいいかげんにします

解説「まつろわぬ人」加藤正人

案の定ともいえるし、予想外のことでもあるが、あれこれ突き刺さるところの多い一冊。かといって、ベタッと同じノリの文章ではなく、友川さんが若い頃の文章から最近の文章まで、また軽めのエッセイから詩まで、バラエティに富んだ内容で印象も一様ではない。

裏表紙の説明には「徒党を組まず、何者にもおもねらず、孤絶と背中あわせの自由を生きる歌手・友川カズキ」とある。たしかに彼が「孤絶と背中あわせ」なのも事実かもしれないが、これという人にはとことん惚れぬく人でもあるのだ。友川さんが師と仰ぐ、能代工業バスケット部の伝説的指導者、加藤廣志。まさに「愛しの存在」として描かれている、たこ八郎。深沢七郎や中上健次とのエピソード。ちょっと意外だったのは、洲之内徹に夢中になったという話。仙台に住んでいた頃は、宮城県立美術館でときどき洲之内コレクションを眺めていたが、『気まぐれ美術館』を再読してみようかな。本棚のどこかにあったと思うが。

もちろん、一番強烈なのは友川カズキその人。お酒やギャンブルの話も含めて、エキセントリックに見える側面の方が目立ってしまうかもしれないが、彼の文章を読めば、その底にある冷静さを同時に強く感じる。狂気だけの人はどうということはないが、狂気と冷静さの両方を兼ね備えている人は恐ろしい。こちらの生き方をすっかりと見透かされてしまうからだ。その冷静さを、友川さん自身が望んでいるのかどうかは分からないけれども。

強烈に生と死の話をしているけれども、読んでいるあいだ、女性の話題があまり出てこないのが気になっていた。いま、過去に見たドキュメンタリー映画『どこへ出しても恥ずかしい人』の覚え書きを見直したら、飲み屋の美人に目が行くくだりがあったのを思い出した。なにか、友川さん一流の含羞みたいなもの。

[J0357/230419]

一條正雄『ハイネ』

清水書院センチュリーブック、「人と思想」シリーズ、1997年。

第1章 ドイツ時代のハイネ
 幼年時代と学校時代―デュッセルドルフ(1797-1815)
 徒弟時代―フランクフルト、ハンブルク(1815-1819)
 大学時代―ボン、ベルリン、ゲッティンゲン(1819-1825)
 自由な文筆家として―ハンブルク、ミュンヘン(1825-1828)
 『歌の本』(1827)
 ドイツ時代の終わり(1828-1831)
第2章 フランス時代のハイネ
  パリ生活の始まり(1831-1835)
 「若いドイツ」派の禁止
 『アッタ=トロル』
 『新詩集』
 ドイツへの旅と『冬物語』
 晩年のハイネ(1848-1856)

『流刑の神々/精霊物語』を読んでがぜん興味が湧き、こちらの伝記も読んではみたものの。詩人としての側面に集中した本で、そもそも読みたい話とちがっているということは割り引かなくてはいけないけど、読みにくい本だ。詩の紹介・解説と伝記とが入り交じっているし、焦点になるのがハイネの思想なのか性格なのか、当時の社会背景なのか、記述に一貫したものがない。

1821~1823年のベルリン大学在籍中に、ヘーゲルの講義を受講して生涯「偉大なる師」と見なしていたらしいこと、1824年にワイマールのゲーテを訪問して塩対応を受けたらしいこと、1827年にカッセルのグリム兄弟を訪問したこと、もっと後年1843年から若きマルクスと親しく交流を持つようになったことなど、個々の事実は勉強になる。でもまあ、これらのエピソードについても、それ以上のものは読み取れなかった。

[J0356/230419]

ハイネ『流刑の神々/精霊物語』

小沢俊夫訳、岩波文庫、1980年。『精霊物語』の発表は1835年から1855年。柳田國男に影響を与えたことで有名な『諸神流竄記』こと『流刑の神々』の発表は1853年。

柳田國男がまさにそうだが、いまこの時代に読むと、たんなる伝承集でもなく、かといっていわゆる研究書ではなく、書物としてのスタイル自体にもふしぎな魅力がある。いつものように「勉強のために」ぺらぺらと読み進めていったが、『流刑の神々』中、ディオニュソスの祭りの伝説の結末は、なかなか衝撃的だった。荒木飛呂彦的岸辺露伴的テイストの、濃ゆすぎる原液。

柳田との関連に触れた訳者解説では、古代の神々の衰頽というモチーフはヨーロッパと日本とで共通している一方で、日本にはより色濃く古代信仰が残っているという理解をしているが、この比較にはもう一点を付け加えておかねばならない。それは、キリスト教の神は圧倒的な崇高さを備えた存在とされるだけに、その反動で、伝承に残る「古代異教の神々」はことさらに淫らで、滑稽で、猥雑なものと描かれがちだということである。日本の場合は、たとえ教義上中心に位置する仏神から外れた神や精霊であっても、その種の脚色や誇張を被ってきた度合いは低い。

そしてまたこのことは、著者のハインリヒ・ハイネの視点に強く影響しているように思われる。たしかにハイネは、共感や郷愁をもってギリシアやゲルマンの古代神の流竄伝を描いているにちがいないが、そこには、誇張された「異教の神々」としての性格に感じる魅力が混入しているようにも思われる。つまり、たとえば奇怪に描かれた魔女は、そうした表象として別種の魅力を持つようになるものだし、いったん「淫らで、滑稽で、猥雑な」ものとして古代神の末路が描かれると、それはそれで暗くグロテスクな魅力を持つようにもなる。

キリスト教以前の古代神やその伝承はおそらく、もっと健康的に「淫ら」であり、もっと素朴に「猥雑」で「残酷」であったと思うのだが、ハイネにはその世界観を捉え損ねているところがある。その世界により直截に迫っているのは、彼に先立つグリム兄弟の方である。

そしてそういうものとして、ハイネのこの書には、グリムの仕事とも異なった陰影がある。内容を忘れかけた頃に、どこか明るくはない旅行先に携えていって、ゆるゆる再読するなんてのも良さそうだ。

[J0355/230416]