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古川哲男編『村岡の慶応一揆』

古川哲男編、コピー製版、1998年。兵庫は但馬、鳥取県と接した香美町の城下町。9号線沿いに、旧美方郡役所の建物を活かした「村岡民俗資料館まほろば」という施設があり、そこで100円で購入。内容は、1866年に起きた一揆の様子を、郷土史家とおもわれる著者が、旧家の文書の記述を集めながら描き出したもの。

一般に、どの程度、各地の一揆の記録が細かく残っているのかはしらないが、この小冊子は、村人の様子や訴えの内容が詳細に記載されていて興味が尽きない。長州征伐などに動員がかかっていて、藩も苦労、人びとも苦労していた時期。

藩に対する要求には、人夫方の話、米価の話、役人の解任の話など、さまざま。おそらく、ひとつひとつの案件について交渉をするシステムがないから、不満が表に出るときは一挙に出るかたちになる。また、物価の値上がりが一番の問題らしく、経済学的な知識や情報がゆきわたっていないところでは、どうしても「大庄屋や商人の悪だくみによるのでは」という疑念が強くなる。「封建制下陰謀論」とでも呼んでみる? 市場経済・貨幣経済と、情報共有システムに欠けるこの種の封建的支配体制の相性には限界があるという気がするね。

[J0298/220925]

『マリノフスキー日記』

谷口佳子訳、平凡社、1987年。マリノフスキーの死後、1967年に、再婚の相手ヴァレッタによって刊行された日記。日記は、彼が人類学に革新をもたらすことになった、初期の調査に携わっていた時期のもの。

まえがき(ヴァレッタ・マリノフスカ)
序文(レーモンド・ファース)
第1部 1914-15年
第2部 1917-18年
訳者解説
現地語索引
地図

「現地人とのラポールのもとにフィールドワークを行ったBM」という、偉大なるフィールドワーカーとしてのマリノフスキー像を揺るがすことになり、人類学に衝撃を与えたこの日記。

だが、フラットに読んでみれば、学問への野心を抱きつつ、日々性的衝動に悩む、ごくごく人間的なマリノフスキーの姿だ。たしかに当時は当たり前であったろう非西洋社会に対する見下しがあるにせよ、現地人やその文化に抱く違和感も、むしろ濃密な住み込み調査に携わっていたからこそだろう。

当時の婚約者で、のちに最初の妻となったエルシー・マッソンに対する貞操を誓いながら、現地人に対して湧いてくる欲望に苦しむマリノフスキー。

1918年4月19日付日記、「5時にカウラカへ。愛らしく姿の良い少女が私の前を行く。彼女の背中や筋肉や体つき、足など、我々白人には想像もできない肉体の美しさに目を奪われた。今、この小さな生き物を目の前にして、その背中の筋肉の動きを長々と観察できるような、そんな幸運に恵まれることは、たとえ自分の妻に対してでさえ、まずあるまい。しばしば、自分が原住民でないため、こんな美しい少女を自分のものにできないのを残念に思う時がある。」(374)

この種の性的魅力とそれに対する欲望というものが、実は、西洋人/非西洋人という区分を乗り越えて働いていることに気づく。もちろん、それだからこそ、その欲望達成のために権力をふりかざすことは、人間社会にきわめてありふれたことだが、それは性的なものが有する区分超越的なベクトルに対してなのだなと。富者/貧者、高身分/低身分、主人/家来、雇用者/被雇用者、年長者/年少者など、おそらくはすべての権力関係において、こうしたファクターの介入が生じてきただろう。

[J0297/220917]

国立国会図書館デジタルライブラリー
https://dl.ndl.go.jp/pid/12141195/1/4

宗教に関する「純粋な合理主義との戦い」 98
「くたばれ野蛮人」発言 118
「著名なポーランド人学者になってみせる」 241
現地民の話への嫌悪感 247
「犬の生活も同然だ」 250
「下品な考え」 286、374、397
デュルケームの宗教論について 413
エルシー・マッソンと葛藤 431、440(解説)

本郷和人『誤解だらけの明智光秀』

マガジンハウス、2020年。

第1章 出自の謎―光秀が生まれた戦国の世とは?
第2章 空白の十年の謎―光秀、放浪する!
第3章 転機の謎―光秀、信長に認められる!
第4章 出世の謎―使命感とプレッシャーに苦悩する五十代
第5章 本能寺の変の謎―光秀、信長を討つ!

2020年大河ドラマ「麒麟がくる」に合わせて出版された、歴史学者によるコラム的な明智光秀の解説書。本郷さんが研究者としてどれほど信用できる人なのか判断する能力は僕にはないが、きっとちゃんとした歴史学者さんなのだろう。研究者にとって、ポピュラーな一般書を書くことはけっこうリスキーなことでもあるのだが、こうして読みやすくおもしろい解説書を出してもらえるのは、読者側としてはありがたい。統一的な描写を提示するというより、細かなテーマを並べたコラム式の記述なのが成功しているのかな。そしてまた、本能寺の変にせよ、光秀や信長にせよ、やっぱり興味の尽きないテーマなのよね。

本郷さんが描いている光秀像は、まじめなハードワーカー。それが本能寺の変の動機となったかどうかは別として、信長にどんどん取り立てられて、プレッシャーに苛まれながら生きていたと。「どんな動機があったにせよ、信長を殺すことで初めて自由になれたのかもしれませんね」(196)とのこと。

[J0296/220917]