講談社学術文庫、2014年、原著2000年。

1 人間の中にあるヒト―生命誌の考え方
2 生命への関心の歴史―共通性と多様性
3 DNA(遺伝子)が中心に―共通性への強力な傾斜
4 ゲノムを単位とする―多様や個への展開
5 自己創出へ向かう歴史―真核細胞という都市
6 生・性・死
7 オサムシの来た道
8 ゲノムを読み解く―個体づくりに見る共通と多様
9 ヒトから人間へ―心を考える
10 生命誌を踏まえて未来を考える:クローンとゲノムを考える
11 生命誌を踏まえて未来を考える:ホルモンを考える
12 生命を基本とする社会

遺伝子ではなく、遺伝子のセット(システム)であるゲノムを単位としてみること。1980年代以降は、そのような研究動向となっている。ある種に共通の遺伝子を組み合わせながら、多様や個別を作り出すのがゲノムである。

生物の歴史にとって、15億年前に真核生物が現れたことは重要である。それも、一倍体細胞から、一つの細胞にゲノムを2セット有する、二倍体細胞になったこと。二倍体細胞は、ある回数増えると死ぬという特性を有する。「生あるところに必ず死があるという常識は、私たちが二倍体細胞からできた多細胞だからです。本来、生には死は伴っていなかった。性との組み合わせで登場したのが死なのです」(124)。

「一倍体細胞の段階では「個」の概念はもてません。その中でのゲノムのあり様、また細胞の存続のしかたは、DNAとして存続すればそれでよいという形になっています。しかし、有性生殖ででき上がった受精卵から誕生するのは、まさに個体であり、しかもそれは発生の過程まで含めるなら、他には類例のない、まさに唯一無二の存在となります。自己創出系という言葉にふさわしい存在です」(140)。

進化に関して、「生きものづくりは鋳掛け屋さんだとつくづく思います(もっともこの商売は若い人には通じなくなっているようで、しゃれていうならブリコラージュでしょうか)」(182)。

「最近はDNA、DNAといわれ、DNAさえ調べればなんでもわかるように思われがちですが、それは違います。ある遺伝子が、いつどこではたらいてどんな形をつくっていくのかを追わなければ、生きもののことはわかりません」(184)。

どこにでも転移してしまうがん細胞は、つねに内と外を主張している通常の生物や細胞とは異なり、「アイディティティを失っている」とも言いうる(199)。

「脳もそれ以外の身体もすべて含めた私という存在の機能が心なのではないか」(212)。

生物の共通パターン、1:積み上げ方式(鋳掛けや方式)、2:内側と外側、3:自己創出(最初は自己組織化)、4:複雑化・多様化、5:偶然が新しいものを、6:少数の主題で数々の変奏曲、7:代謝、8:循環、9:最大より最適、10:あり合わせ、11:協力的枠組みでの競争、12:ネットワーク。

生物の特徴、多様だが共通、共通だが多様/安定だが変化し、変化するが安定/巧妙、精密だが遊びがある/偶然が必然となり、必然のなかに偶然がある/合理的だがムダがある/精巧なプランが積み上げ方式でつくられる/正常と異常に明確な境はない。

循環系に基づく、ライフステージ型社会の構想。

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生物やDNAの捉え方について、基本的には首肯できる。とくに、機械論的還元主義に抗して、関係性の中にある機能こそが重要であるという点。ちょっとあいまいで多義的だと思うのは、アイデンティティについての議論だが、一方でここがとても面白く重要なところでもある。生物の原理を、社会設計など他の事柄に応用する段階では、異論が多くあり得るだろう。生物一般の特性については非常によく要約してくれているが、人間の文化や文明の位置づけについては考慮されていない。それらは、生物進化の延長線上にあるのか、それともそれと対立さえしうるものなのか。人間の文化や文明はどこまで肯定されるべきものなのか。

なにもこの書を否定しているわけではない。当然これらの問いは、中村さんが提示しているような生命誌的考察の基盤の上に積み上げるかたちでなされねばならないし、そしてやはりまだまだこうした考察は欠けているからだ。

本ブログで取り上げた本のうち、近い問題を扱っている書として、小林武彦『生物はなぜ死ぬのか』(講談社現代新書、2021年)

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