Author: Ryosuke

藤原聖子『宗教と過激思想』

中公新書、2021年。

はじめに 「イスラム過激思想」という造語への疑問
序章 宗教・過激に関わるいくつかの言葉
第1章 「アンチ西洋」ではくくれない―イスラム系過激思想
第2章 「弱き者のため」のエネルギーはどこから―キリスト教系過激思想
第3章 善悪二元論ではないのに―仏教系過激思想
第4章 ナショナリズムと鶏卵関係か―ユダヤ教・ヒンドゥー教・神道系過激思想
第5章 過激派と異端はどう違うか
終章 宗教的過激思想とは何か
おわりに 「宗教的過激思想」が照らし出すもの

幅ひろく「過激とされた宗教思想」を取り上げて、宗教、とりわけ特定の宗教を暴力性と結びつける解釈を相対化しようとする。たとえば、平和なイメージのある仏教にも過激思想はあるし、「多神教」であるヒンドゥー教にも、「寛容な宗教」を自称しながら他者を差別しようとする動きはあり、それは「寛容」を誇る日本の宗教にもみられる論理である。もともとは講義録とのことで、歯切れのよい口調。

奴隷制を廃止するために殺人を厭わなかった「テロリストの父」、ジョン・ブラウン。不勉強で知らなかったな、興味深い人物だ。マルコムXも「非常にまれな白人」と称賛していたらしい。ブラウンは、クロムウェルにも範をとった信仰者であったらしい。

著者は、近代以前の「異端」は、教義などをめぐる宗教内部の対立に発し、しばしば暴力をふるわれる側であったのに対し、現代の過激思想はむしろ社会問題を意識し「世直し」を目指した運動として、ときに暴力をふるう側に立っているとする。「近代を転換点に、ある宗教の教義のや儀礼・戒律に関する異議申し立てとしての異端運動よりも、社会的不正への異議申し立てとしての宗教的過激思想・派が増えていったのである」(195)。かなり大胆な特徴づけで、そもそも異端と過激思想をどこまで横並びに比較できるかという問題も残る。

「世俗的な過激思想との違いに目を向ければ、20世紀の政治的な過激派は、赤軍を代表とするように多くは左翼勢力であった。それに対して、現在の宗教的過激派・過激思想は、その多くが宗教的には「保守」、つまり右側に属するのである。この変化は、21世紀に入って多くの先進国において指摘されて右傾化の文脈もあるが、宗教においては「昔は良かった」的な意識は、宗教を軽視する現代社会に対する信仰復興の呼びかけとして現れる」(223-224)。うーん。左翼=進歩派から、宗教=保守派という整理? どうだろうか。

宗教は過激になりやすいというイメージがあるけれど、国家だって同じなわけだよね。日本人は国家秩序大好きだから、相対的に宗教への当たりが厳しくなる。本書著者は、短絡的に宗教と暴力を結びつける解釈を警戒しているけれども、結局「宗教怖い」という感想に落ちついてしまう読者も多いだろうなと予想する。

[J0169/210618]

武田尚子『チョコレートの世界史』

中公新書、2010年。

序章 スイーツ・ロード旅支度
1章 カカオ・ロードの拡大
2章 すてきな飲み物ココア
3章 チョコレートの誕生
4章 イギリスのココア・ネットワーク
5章 理想のチョコレート工場
6章 戦争とチョコレート
7章 チョコレートのグローバル・マーケット
終章 スイーツと社会

定期購読している『たくさんのふしぎ』の2021年4月号のトピックがチョコレートで、チョコを作るのにたくさんの発明や技術革新が必要だったことをみて、流れでこの本も読んでみた。この手の歴史記述は、まずだいたい、おもしろくないことはないよね。

  • カトリック修道会の教団運営の資金源として、カカオは不可欠であった。
  • 断食に際して、ココアが薬品か食品か、液体か固体かが宗教的論争になった。
  • イギリスのクエーカーが、ココア・ビジネスを育てた。それはその労働倫理のほか、彼らが自然治癒力やホメオパシーに関心があったらだった。
  • キットカットを生んだヨークのロウントリー社の社長だったベンジャミン・ロウントリーは、チャールズ・ブースの『ロンドン市民の生活と労働』とともに有名な、貧困の社会調査を実施するともに、彼はイギリス社会福祉政策の源流を作りだした人物であった。
  • チョコレートは戦地でも重要な食品で、二次大戦では熱帯地方でも溶けないチョコレートが開発・製造された。

植民地主義と宗教的良心の不思議な絡み合い。クエーカーの質実剛健・社会奉仕的な傾向を考えれば、受験アイテムとしてキットカットを食べるのもまちがっていない?・・・・・・ってこともないか。

[J0168/210617]

小島庸平『サラ金の歴史』

中公新書、2021年。

序章 家計とジェンダーから見た金融史
第1章 「素人高利貸」の時代―戦前期
第2章 質屋・月賦から団地金融へ―1950~60年代
第3章 サラリーマン金融と「前向き」の資金需要―高度経済成長期
第4章 低成長期と「後ろ向き」の資金需要―1970~80年代
第5章 サラ金で借りる人・働く人―サラ金パニックから冬の時代へ
第6章 長期不況下での成長と挫折―バブル期~2010年代
終章 「日本」が生んだサラ金

うわ!これはおもしろい!凄い仕事だ。著者は農経(農業経済学)の人らしく、サラ金なんて経済学ではぜったい周辺のテーマなんだろうけど、「サラ金の金融技術の革新」を描くところは、ふつうの社会史を超えて、経済学になじんだ人ならではのおもしろさ。一方では、ジェンダーの時代的変容といった側面にも目配せがされている。やっぱりハイライトは、この研究に手を染めたきっかけでもあるという、「成長著しい業界に独特なエネルギーを持つ人々の魅力」が描かれた前半部。昭和~平成期日本社会史の必読書のひとつだと思う。

ディティールにおもしろポイントは数多くて挙げきれないが、そのひとつ、各社割拠のサラ金業者11者が結集して1969年につくった、不良債権者のブラックリストを管理する日本消費者金融協会。この組織によって不良顧客のチェックが可能になり、審査基準を緩和するなど業界の発展が促進された。一度は分裂の危機があったそうだが、外資系消費者金融の登場に際して再度結集、実際にこの組織を元に外資系の駆逐に成功する。こうしたシステムは実際、現代における顧客データ管理システムのはしりといえそうだ。

「闇」の側面から、セーフティネットとしての側面まで、いずれにしてもサラ金が民衆の生活の現実に密着した存在として、時代的変遷を経てきたことがよく描かれている。昭和~平成期日本社会史の必読書のひとつだと思う(二度目)。

[J0167/210614]