Author: Ryosuke

渡辺幸任『出羽三山信仰と月山筍』

 杏林堂漢方薬局、2013年。出羽三山のひとつ、月山で採れる最高級のネマガリタケ、月山筍。「出羽三山信仰と・・・」とあるが、ほとんど寄り道なしで、月山筍関連の記述で250頁。採集する人々の話や民俗、組合や栽培、それから遭難の話まで。
 たくさんの写真を掲載、一枚一枚は地味なのだが、なんだか実に良い。いかにも東北地方の空気を感じる、それをうまく言葉で表現できないのだが。

 筍を見れば採った場所が分かるそうな。時期には何十キロも採って、宿坊などに出すと高値がつくとのこと。読み進みながら、いかに山の恵みが大きいかを感じる。
 出羽三山には何度か訪れたことがあるけれども、たけのこを食べたかどうかは記憶がない。名取市の方々の三山講に混ぜていただいたときには、三山信仰のシステムがしっかりと組織され生きていることを感じた。月山筍もその一部を形づくっていることが、この書から分かる。

 強力は憧れる生業のひとつ。「上手く背負うには膨らみをできるだけ小さくして、その上に重たいものを乗せてバランスを取ることだよ。強力さんは背負うものを一目見ただけで荷造りが分かるんだ。どの荷物をどこに入れるかとか、とにかく朝の荷造りが大切だね。きちんと荷造りしないと途中で荷崩れするからね。金美さんは荷造りに対して気配りがぜんぜん違っていた。実にまめな人で、荷縄一本でもバランスを取って荷造りしていたよ。….. 立見さんは金美さんと対照的な人柄でおおざっぱというか、危うい格好で荷物を背負って上ってきた。それでも不完全な荷造りがいいと言う人もいるんだ。これは荷崩れすることに気遣って疲れを逃がすことにもなるんだ。段取り八分、仕事二分と言われる世界だよ。」(32-33)

[J0091/200924]

A. フリシュ『叙任権闘争』

野口洋二訳、2020年、ちくま学芸文庫、原訳書1972年、原著1946年。

第1章 教会法的伝統と俗人による簒奪
第2章 教会の反撃
第3章 グレゴリウスの法規
第4章 世俗諸君主の反対
第5章 グレゴリウス七世時代の叙任権をめぐる議論と論争
第6章 ウルバヌス二世の教皇在位期(一〇八八‐一〇九九年)
第7章 十二世紀初頭のイギリスとフランスの叙任権闘争
第8章 ドイツの叙任権闘争 一一一一年の危機
第9章 ヴォルムスの協約
第10章 教会の解放

背景の知識がなさすぎて、厳しい・・・・・・。カノッサの屈辱が、宗教的な赦しとして教会の権威を高めた一方、政治的な見地からすれば否定的に評価されるとか、頭に残ったのはそれくらい?人名もなじみがなさすぎる・・・・・・。

専門分野外すぎたが、こういう本が、文庫で再版されるちゅう状況を喜びたい。

[J0090/200923]

吉田裕『兵士たちの戦後史』

岩波現代文庫、2020年、原著は2011年。

序 章 一つの時代の終わり
第一章 敗戦と占領
第二章 講和条約の発効
第三章 高度成長と戦争体験の風化
第四章 高揚の中の対立と分化(1970年代‐1980年代)
第五章 終焉の時代へ
終章 経験を引き受けるということ

著者には『日本人の戦争観』(1995年)という著書もあるが、本書は戦争観一般ではなく、戦争体験の語りの歴史を辿る。つまり、たんにあれこれの戦争体験を紹介するのではなく、時代ごと・目的ごとに異なる戦争体験の語りのあり方を、できるだけ広い文脈に置いて整理しようとする。戦争体験の問題を考える上で、最初に手に取るべき一冊と言える。

そうした内容面での価値とは別に、可能なかぎりの「客観性」を堅持しつつ、リアルな情報を手を尽くして集めて整理していく様子に、著者の執念をひしひしと感じる研究でもある。

1954年生まれの著者は、「あとがき」でこう漏らしている。「思春期、青年期の私は、なぜあれほど無慈悲に、父親の世代の戦争体験に無関心、無関係を決め込んでいられたのだろうか」(347)。

もちろん著者自身は、そこから来る「負い目」を背負い、もっとも良心的に責任を果たしてきた人物のひとりにちがいない。また、私が属する団塊ジュニア世代ないし氷河期世代の人間が、日本の戦争問題にきちんと向き合ってきたとは、1ミリも思えない。それでも、ポスト団塊世代として著者が自省を込めて述べている、ポスト団塊世代や団塊世代の人たちに今も見られる戦争体験に対する「無慈悲」「無関心」は、改めて奇異に見える。彼らには、「”戦争”はまだ、手をのばせば、とどく所に”転がっていた”」のに。「戦争を知らない子どもたち」などという言葉は、その流行当時は意味があったろうと思うが、それから50年を経てまだ平気で「知らない」と言うのであれば、醜悪でしかない。この世代から、吉田さんのこの著書のような仕事がまだこれからどれだけ出てくるだろうか。私たちの世代は世代で――もう「若く」はないのだし――、自分たちの立場の上で、吉田さんたちの仕事を嗣がねばならない。

[J0089/200918]