Author: Ryosuke

小倉ヒラク『日本発酵紀行』

2023年、角川文庫。もとの単行本は2019年。

1章 味覚の記憶/東海の旅
2章 現代空間のエアポケット/近畿の旅
3章 魚と酢の通り道/瀬戸内の旅,
4章 微生物の誘う声 離島へ
5章 旅の身体感覚 北へ
6章 ご当地スタンダードの発酵おやつ/関東の旅
7章 発酵から見た経済史/日本の近代化を見直す旅
8章 辺境を生きる知恵/九州の旅
9章 記憶の箱舟
文庫版特別収録
文庫版あとがき

話題になっていた『発酵文化人類学』は未読で、こちらから手に取ってしまった。なるほど、これは話題にもなる。テーマ自体は深いけれど、うんちくをぐちぐち連ねる感じでも、妙にもったいぶる感じでもなくて、やっぱり明るい作者が人気が出るんだね。なにか希望を感じさせるところもいい。

キーワードは「人間以外の時間」。微生物による発酵は、人間がつくるものではなく、人間の都合も考えない。人間がそこに合わせていく。それが地域の文化になる。たとえば、「醸造蔵は簡単には引っ越せないし、蔵を建て替えることもできない。商品の個性をつくりだす微生物の生態系が変わってしまう恐れがあるからだ。だから古い建物を少しずつ直し、建て増しをしていく。結果、様々な時代の建築様式が蓄積されることになる。・・・・・・そういう意味で醸造蔵は「生きたミュージアム」であり、現代の感覚ではありえないほど長い時間が蓄積し、伸び縮みする特異な場所」(42)。

篠田統『すしの本』で紹介されていた、鳥取智頭の柿の葉ずしもしっかり食べている。『発酵文化人類学』もそのうち読むでしょう。

[J0318/221224]

猪俣津南雄『踏査報告 窮乏の農村』

改造社、1934年。

ぐわー、たまたま見つけてしまった。島根県「株小作」制度に関する貴重な記述!

恐慌の影響で悲惨な窮乏に苦しむ当時の山村・漁村にあって、「殆ど唯一の例外は島根県」のとくに山村地帯だという(87)。現物経済がなお多くを占める山村地帯では、いまのところは、恐慌による影響が届いていないのだと。

株小作制度については、「それが明治以後の制度であることは確かである」(91)と断言、地租改正・租税の金納化の結果、土地を「地主に預ける」ことにしたのであると(91)。その後、しだいに支配が強くなって、「炭を焼く貧農達は、大きな炭焼資本家達の下に隷従せざるを得なくなってきた」(93)という見立てだ。さあどうだろうか、真偽のほどは分からないが、ひとつの説としてたいへん興味深い。

猪俣津南雄といえば、『労農』の創刊にたずさわった、バリバリの初期マルクス主義者。しかし、この部分しかこの本の内容を確認していないが、きちんと各地を踏破して記録しているところで、たんに教条主義的なマルクス主義者のご高説ではなく、リアルな得がたいドキュメンタリーになっているようにみえる。

いずれにしても、10年前にこの主題で論文を書いたときは見つけられなかったが、その制度が生きていたときの株小作の記述として貴重。

>紙面、国立国会図書館デジタルコレクション

>論文「田部家の語られ方-鉄師の「イメージ」とその形成過程」
(『田部家のたたら研究と文書目録 上』、島根県雲南市教育委員会、2012年)

[J0317/221207]

その後、岩波文庫版を購入して一通り読む。昭和恐慌下における、全国各地それぞれの農家の事情を探って歩いた貴重な記録。文章も、できるだけ平易であることを意識している感じだ。貧農はもちろん、中農や小中地主それぞれの苦労のようすにも気を配っている。

なお、大島清が解説を付していて、株小作の発生が明治以後という猪俣の見解をわざわざ注を付して否定している。その根拠としているのは、1942年島根県経済部「島根県下の株小作」の記述。

[230103]

竹岡敬温『『アナール』学派と社会史』

同文館、1990年。

第1章 『アナール』の誕生
第2章 ブローデルとブローデルの世界
第3章 物価史とエルネスト・ラブルース
第4章 時系列史の課題と動向
第5章 歴史人口学の諸問題
第6章 心性史と歴史人類学
第7章 『アナール』学派と社会史

30年以上も前の本で、この分野における基本図書にまちがいないだろうから、今さらなんだろうけども、良書。たいへん勉強になる。分かるようで分からないところも多かったアナール学派のあれこれ、とくには学派内の多様性について、理解が深まった。著者の竹岡さんは、パリに留学してブローデルの講義を受けた方とのことで、現在90歳になるはずだが、ごく最近、2020年にも上・下巻に及ぶ大部の研究書を出版されている模様。

狭義のアナール学派だけを扱うのではなく、周辺領域との関係にも目配せがなされているのがありがたい。境界横断を旨としたアナール学派がとくに影響を受けたのは、地理学、社会学、経済史であると。そのなかで、社会史・心性史・長期史・時系列史・歴史人口学等の潮流の進展に与することになったと。ただし、「理論的企てにたいする頑強な拒否」がアナール学派の特徴であって、それがその発想の源泉のひとつであるデュルケム学派と一線を画する点であり、(僕の解釈ないしパラフレーズでは)アナール学派があくまで歴史学である理由となっている。

本書でもたびたび触れられているが、たしかにアナール学派の存在を念頭におくと、ミシェル・フーコーの仕事の位置づけについても見通しが立ってくる気がする。このほか、個人的には、ガブリエル・ル・ブラーズの宗教的社会学との関係についてさらに知りたい。

[J0316/221204]