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小田中直樹『歴史学のトリセツ』

副題「歴史の見方が変わるとき」、ちくまプリマー新書、2022年。

はじめに―歴史って、面白いですか?
第1章 高等学校教科書を読んでみる
第2章 「歴史を学ぶ」とはどういうことか
第3章 歴史のかたちはひとつだけじゃない
第4章 歴史の危機とその可能性
第5章 世界がかわれば歴史もかわる
おわりに―歴史学の二一世紀へ

なるほど、歴史学の歴史を分かりやすくたどって、良い本だ。が、初学者が読んで分かる内容かと言えば、難しい気もする。結局、ひとつひとつの研究の内容やそのおもしろさには触れられていないからね。それは小田中さんのせいではなくて、新書で「概観」にポイントを絞って書けば、当然、そうなる。だからたぶん、少し歴史学に触れはじめてしばらくした人だとか、すでに詳しい人が歴史学の流れを見直そうとするときに楽しく読める内容という気がする。

[J0307/221101]

山口真一『ソーシャルメディア解体全書』

副題「フェイクニュース  ネット炎上 情報の偏り」、勁草書房、2022年。

第1章 社会の分断と情報の偏り
第2章 フェイクニュースと社会
第3章 日本におけるフェイクニュースの実態
第4章 ネット炎上・誹謗中傷のメカニズム
第5章 データから見るネット炎上
第6章 ソーシャルメディアの価値・影響
第7章 ソーシャルメディアの諸課題にどう対処するのか

なんとか解体全書とか書いてある本で、ほんとうに網羅的な本って見たことがないかもしれないが、この本はこの領域に関する話題を広く扱っていて、良い意味で教科書的な、便利な一冊になっている。

  • SNSでは極端な意見が多く投稿され、憲法改正の例では「非常に反対」「絶対に反対」の人たちは14%しかいないが、投稿回数は46%にのぼる。(25)
  • 〔フェイクニュースによる殺人の例、インドやメキシコ。いずれも、「人さらいギャングが入国した」「子どもを誘拐した犯人だ」というフェイクニュースに対して、防衛的な対応から殺人に及んでいる〕(41)
  • イギリスのケント大学の指摘、陰謀論が広まる理由。(1)知識への欲求、(2)安心したい欲求、(3)「人のもっていない情報を知っている」とぃう優越感への欲求(47)
  • FIJのニュースの信頼性レーティング(74)、正確:事実の誤りはなく、重要な要素が欠けていてない、ほぼ正確:一部不正確だが、主要な部分に誤りはない、ミスリード:一見事実とは異ならないが、誤解の余地が大きい、不正確: 正確・不正確な情報が混じり、全体としては不正確、根拠不明:誤りと証明できないが、証拠や根拠が乏しい、誤り:重要な部分に事実の誤りがある、虚偽:重要な誤りを含むことを知りながら伝えた疑いが濃厚、判断留保:真偽の証明が困難、誤りの可能性が否定できない、検証対象外:意見や主観的な評価であり、真偽を証明できない(74)https://fij.info/introduction/guideline
  • 新聞の閲覧時間が長かったり、マスメディアの信頼度が高いとフェイクニュースを信じにくいという指摘(111)
  • スーパースプレッダーはごくごく一部
  • ファクトチェックの限界(277-279):(1)真実のニュースは普及しにくい、(2)なにが「真実か」は個人の判断がともなう、(3)中立性の確保が難しい、(4)事業の安定的な継続が難しい、(5)強く信じている人にファクトを提示しても反発する(逆効果)

[J0306/221019]

村上春樹『雨天炎天』

副題「ギリシャ・トルコ辺境気候」、新潮文庫、1991年、原著1990年。

ギリシャ編:アトス――神様のリアル・ワールド
 さよならリアル・ワールド
 アトスとはどのような世界であるのか
 ダフニからカリエへ
 カリエからスタヴロニキタ
 イヴィロン修道院
 フィロセウ修道院
 カラカル修道院
 ラヴラ修道院
 プロドロムのスキテまで
 カフソカリヴィア
 アギア・アンナ――さらばアトス
トルコ編:チャイと兵隊と羊:21日間トルコ一周
 兵隊ほか

ギリシャというけど、アトス縛り。アトスの紀行文ということで読んでみた。各修道院で出される食べ物の話ばかりだが、ひとつのリアリティとしておもしろく読める。

「ギリシャ正教という宗教にはどことなくセオリーを越えた東方的な凄味が感じられる場合があるような気がする。とくに夜中の礼拝を階段の隅からそっと覗き見ているような場合には。そこにはたしかに、僕らの理性では捌ききれない力学が存在しているように感じられる。ヨーロッパと小アジアが歴史の根本で折れ合ったような、根源的なダイナミズム。それは形而上学的な世界観というよりは、もっと神秘的な土俗的な肉体性を備えているように感じられる。もっとつっこんで言えば、キリストという謎に満ちた人間の小アジア的不気味さをもっともダイレクトに受け継いでいるのがギリシャ正教ではないかとさえ思う」(51)

村上による『古寺巡礼』風の記述? これ以上突っ込んだ考察をしてはないが、多くが感じるギリシャ正教の第一印象の記述と考えれば。

トルコ編になると、彼の地の文化・社会というよりは、村上節ばかりが印象に残る。それはそれですごいことだよね。

[J0305/221077]