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鈴木エイト『自民党の統一教会汚染』

副題「追跡3000日」、小学館、2022年。

プロローグ 安倍元首相が殺害されるまで
第一部 安倍政権との癒着
・発覚した首相官邸と統一協会の”取引”
・利用者される2世信者たち
・教団イベントに国会議員が大挙参加
・疑惑の国会議員を直撃
・全国弁連の申し入れにも聞く耳もたぬ自民党
・50周年大会の勝共連合、教団関連組織の工作
・顕在化する総裁・韓鶴子の反日思想
・2019参院選で暗躍する教団
・第4次安倍再改造内閣は”統一教会系内閣”
・自民党最大派閥会長が教団サミットで公演
・教団と政治家のマッチング集会
・「桜を見る会」に統一教会関係者
・2世信者が韓国で謝罪ツアー
・国会議員同伴の北朝鮮訪問が頓挫
第二部 菅・岸田政権への継承(2020-2022)
・菅政権へ引き継がれる”負のレガシー”
・統一教会と米歴代大統領との蜜月
・ついに安倍晋三がリモート登場
・岸田政権でも”継承”された教団との関係
・2022年参院選、安倍晋三暗殺
エピローグ 我々は何に目を向けるべきなのか

カンパのつもりで購入。いちおう、宗教社会学者を名のっている身だが、世間一般と同じく、ここまでの癒着という認識はなかったな。新宗教の教勢は衰えているという一般的な認識以上の問題意識はなかった。「ターニングポイントは2000年代後半」だそうで、安倍晋三の個人的な繋がりが大きかったよう。

右翼的であることを売りにしていた安倍政権が、韓国中心で反日的な統一教会と手を組んでいたこと。実際、本書によれば、統一教会は、安倍政権に歴史問題への謝罪を求めるような運動も行っていたという。たしかに統一教会側は、日本の政権に食い込み、影響を及ぼすことを狙っていただろう。他方、おそらく、安倍や自民党はと言えば、統一教会の思想に共鳴したというよりも、ひたすら選挙に役だつ「便利な存在」として関わってきたのだろう。もうひとつのキーワードは、「反共」か。よりによってというか、彼らの嫌いな「反日」であろうと関係ないわけで、なにか思想面で影響を受けて癒着したといった話もかえって、その底の抜けた無節操ぶりが恐ろしく、また彼らならば、今の日本ならば、さもあらんという気もする。

もちろん、そうした無節操を支持してきたのも、今の日本である。今回の事件の結果、「宗教」に対する嫌悪がさらに、より広く「信念」的なものに対するいっそうの嫌悪へと繫がりそうなのは、皮肉である。今の日本国民の大勢は、宗教も嫌いなら、共産党も社会運動的なものもポリコレ的なものも嫌いで、一切の原理的行動を厭うているように思う。なんなら、山上の行動のほうが理解されやすい心性があるのだよな。

[J0304/221014]

宮崎賢太郎『カクレキリシタン』

副題「現代に生きる民俗信仰」、角川ソフィア文庫、2018年、原著は2001年。

  • はじめに
  • 改訂増補にさいして
  • 第一章 カクレキリシタンとは何か
    1 カクレキリシタン研究の足跡
    2 「潜伏キリシタン」と「カクレキリシタン」
    3 「隠れキリシタン」か「カクレキリシタン」か
    4 カクレキリシタンに対するイメージの転換
    5 潜伏時代とキリシタン崩れ
    6 キリシタンの復活とカクレキリシタンの出現 
  • 第二章 カクレキリシタンの分布
    1 潜伏キリシタンの分布 
    2 現在のカクレキリシタンの分布 
  • 第三章 生月島のカクレキリシタン
    1 生月キリシタンの歴史
    2 生月のカクレキリシタン組織
    3 生月のオラショオラショの意義
    4 生月のカクレキリシタン行事
    5 生月カクレキリシタンの神観念
  • 第四章 平戸島のカクレキリシタン
    1 平戸キリシタンの歴史
    2 平戸カクレキリシタンの分布
    3 根獅子のカクレキリシタン
    4 飯良のカクレキリシタン
    5 草積のカクレキリシタン
    6 下中野のカクレキリシタン
    7 春日のカクレキリシタン
    8 獅子のカクレキリシタン
    9 油水・中の原・大久保・中の崎のカクレキリシタン
    10 霊山安満岳
  • 第五章 五島のカクレキリシタン
    1 外海潜伏キリシタンの五島移住
    2 若松町築地・横瀬のカクレキリシタン
    3 若松島有福のカクレキリシタン
    4 奈留島のカクレキリシタン
    5 福江島宮原のカクレキリシタン
    6 福江島のその他のカクレキリシタン
  • 第六章 長崎のカクレキリシタン
    1 家野町のカクレキリシタン
    2 岳路のカクレキリシタン
  • 第七章 外海のカクレキリシタン
    1 外海キリシタンの歴史
    2 出津のカクレキリシタン
    3 黒崎のカクレキリシタン
  • 第八章 カクレキリシタンの解散とその未来
    1 なぜカトリックに戻らないのか
    2 消えゆくカクレキリシタン
    3 カクレキリシタンにおける解散の意味
    4 解散後の神様の取り扱い
  • おわりに

地道な調査にもとづいた、一級の記録、一級の研究書。地区ごとのバラエティを描いて詳細なだけに、安易な一般化ができないことが分かってくる。また、現代における衰退の様子をたどっているところにも特徴がある。

「ラテン語の訛ったオラショや、洗礼、クリスマス、復活祭などに比定できる行事を伝えているというようなことによって、いまもってカクレキリシタンはキリスト教徒であるとみなしてはならない。仏教や神道、さまざまな民間信仰と完全に融合し、まったく別のカクレキリシタンというひとつの民俗宗教に変容している」(395)。

キリスト教との関係もさまざまで、各地のカクレキリシタンの多くは消滅しつつあるが、神道に収まる(一元化するというべきか)者もあれば、カトリックに向かう者もあり、黒崎のように、熱心な先導者によってカトリック化した地域もあるという。

神道に近いという者もあれば、「やっていることは仏教のことである」(389)という証言もある。仏教とはほとんど区別していないような地域もあれば、「経消し」といって仏教式の葬式の効果を帳消しにする儀礼をしてきた生月島の地域もある(187-)。ただし、基本線として、先祖代々の信仰として大事と認識されてきており、また、伝統的なやり方を守らないことによる「祟り」への恐れも幅広く存在してきたようだ。一言で言えば、カトリック的な要素について特異であったとしても、たしかにきわめて「日本的」な信仰なのだ。

[J0303/221008]

ミシェル・ド・セルトー『ルーダンの憑依』

矢橋透訳、みすず書房、2008年、原著1970年。

  • 歴史はけっして確実なものではない
  • 憑依はいかにして起こったか
  • 魔術のサークル
  • 憑依の言説
  • 被告ユルバン・グランディエ
  • ルーダンにおける政治―ローバルドモン
  • 予審開始(一六三三年一二月‐一六三四年四月)
  • 憑依者の劇場(一六三四年春)
  • 医師の視線(一六三四年春)
  • 真実の奇形学
  • 魔法使いの裁判(一六三四年七月八日‐八月一八日)
  • 刑の執行(一六三四年八月一八日)
  • 死のあと、文学
  • 霊性の時―sジュラン神父
  • ジャンヌ・デ・ザンジュの凱旋

17世紀、フランスの地方都市ルーダンで生じた修道女集団憑依事件の詳細なる記述と考察。セルトーの論点は、憑依一般ではなく、この憑依事件に現れている時代の――中世から近代への――転換である。

「ある歴史的瞬間、つまり、宗教的指標から政治的指標への転換、天上的宇宙論的人類学から、人間の視線によって自然物が配列される科学的構成への転換の瞬間にかかわったルーダンの憑依は、また歴史における異なるものにも開かれている――憑依の変容によって引き起こされる社会的反応という、かつての悪魔とは異なっているが同様に不安を与える、新たな社会的他者の形象が浮上してきて以来問われ続けている問題にも、開かれているのである」(363)

と、時代的変遷の描写が中心だとしても、やはり悪魔憑きそのものや、裁判の記述に対する興味が勝る。すさまじい憑依の様子は、高田衛が『江戸の悪魔祓い師』で紹介した、まさに同時代の日本のことであった、祐天の憑き物落としを思い起こさせる。

ただ、江戸とルーダンとで異なると思うのは、ヨーロッパの悪魔憑きは、なにか一般人の世界観や存在そのものを揺さぶるような種類の恐怖を感じさせることだ。逆にそこから、教会の巨大な権威も生じたのだろう。日本の宗教史は、個別の出来事としての自然災害に対する恐怖はあっても、世界や存在が覆されることに通じる、この種の恐怖を欠いているように思う。

[J0302/221004]