新潮社、1992年.

1 柿渋作り
2 森塗師屋の看板
3 老職人・黒瀬常次郎
4 里子、里親
5 機械場女ゴ 米屋製糸場
6 生母の死
7 古川尋常高等小学校
8 満州事変熱
9 弟子奉公
10 木地師の弥四郎さん
11 進学断念
12 郷土の偉人・吉野作造
13 髹漆(きゅうしつ)
14 初めての印半天
15 漆掻きの権六さん
16 徳也つぁんの戦病死
17 職人とは何ぞや
18 我流「漆工の歴史」
19 常さん去る
20 タンス塗り
21 召集令状
22 軍隊日記から
23 常さんの死
24 中島飛行機尾島工場へ
25 現場配属になる
26 塗装工場にて
27 学徒勤労報国隊
28 神風褌
29 工場の夕食
30 太田市空襲
31 疎開工場建設隊
32 帰郷
33 シガレットケース作り
34 私の結婚
35 森塗師屋の再出発
36 嗚呼 漆かぶれ
37 旧友佐々木のこと
38 祝儀樽塗り
39 中国産漆のこと
40 塗師屋の妻
41 我流夫唱婦随
42 「天皇陛下」私見
43 当世職人気質
44 欅の木目

1922年、宮城県古川に塗師の家に生まれて、軍隊生活を経て、職員として活きた筆者の一代記。古川の町の様子、職人たちの生活、戦時下の雰囲気、兵隊たちの会話、敗戦後の建て直しなど、読みどころは多い。

個人的にとくに印象に残ったのは、昔ながらの職人であった常さんの真摯な生き様。「常さんが仙台に帰ったあと、栄助大工さんが、「職人ってはかない稼業だちゃな。八十まで骨身を惜しまず働いても自分の家一軒建てられねいものしゃ」しみじみといった」(110)。

本筋にあまり関係ないが、敵国の死者の扱いについて情報を集めているので、メモ。著者が、軍需工場に招集されて働いていた群馬県太田市での空襲のときの話。「B29墜落現場に敵愾心に燃えた付近の住民が、鍬や竹槍などを手に続々と集まった。いち早く腕章を巻いた憲兵数人が監視警護していたが、憲兵はいきり立つ住民のなすがままにし、黒こげの米軍操縦士の死体を踏ませたり、足蹴にさせたりした。「この野郎っ」「ヤンキー、いいざまだ」 子供たちまで大人の後から遺骸に向かって石を投げつけた。ところが、その夜、夜陰にまぎれ米兵の冥福を祈って手向けたのか、野の花二、三茎をひそかに供えていった〝非国民〟がいたという。激怒した憲兵隊が、その献花犯人を躍起となって探索したが、発見することができなかったそうである」(169-170)

ディティールはしっかりしているし、冷静さを失わない筆致でさらっと読めるのが逆にただものではないと感じたが、1957年に「人間の記録双書」からやはり自伝を出して、鶴見俊輔の賞賛を受けたことがある人なのだという。

「人間の記録双書」について
森伊佐雄『昭和に生きる』(1957年)NDLデジタル配信
森伊佐雄『応召兵』(1944年)NDLデジタル配信

[J0285/220813]