Category: Japanese Articles

若松宗雄『松田聖子の誕生』

松田聖子のデビューが1980年。彼女といえば、当時のアイドルという存在の大きさや、テレビを中心にした芸能界のしくみも含めて、今は歴史となった「時代」そのもの。松田聖子を見いだしたプロデューサーによる回顧録。新潮新書、2022年。

序章 運命のカセットテープ
第1章 父親の許しをもらうまで
第2章 決して偶然でなかった出逢い
第3章 難航するプロダクション探し
第4章 デビューのための上京
第5章 スターへの階段
第6章 松田聖子は輝き続ける
アルバムとシングルについて

松田聖子こと蒲池法子が最初、これほど純朴で、これほど期待されることもなく、デビューすることにすら難航したとは知らなかった。著者の若松氏ひとりだけが蒲池の才能を信じていたとのこと、これが誇張でないとすれば、彼の功績はたしかに偉大である。

デビュー曲は筒美京平に依頼したが、多忙のため断念してできたのが小田裕一郎による「裸足の季節」だったのこと、これが松田聖子という唯一無二のアイドルが生まれるはじまりになったと思わざるをえない。なお、筒美京平は中森明菜にも楽曲提供がない。

本書後半のセクションは、50ページ以上にわたってシングルやアルバムごとの解説で、これはきっと聞きながら眺めれば楽しい。資料になるこのセクションがあるせいで、読了してもブックオフ行きにはできないな。

しかし、なにもこれ以上付けくわえる必要もなかった輝かしい「松田聖子ストーリー」だったのに、沙也加ちゃんのことが起きてしまったのは悲しすぎる。そんな蛇足はいらなかったのに。

[J0474/240604]

末木文美士『仏典を読む』

副題「死からはじまる仏教史」。仏教学の第一人者である著者。個人的には、これまで読んだ本にあまり強い印象を受けてこなかったが、もともと雑誌の連載記事だという本書は、古今の仏典を取りあげて、平易な説明のなかに著者の知識見識が散りばめられていて、とてもありがたい。2009年に新潮社から出版された本だが、今調べたら角川から文庫化されている。そちらも買おう。

第1部 死からはじまる仏教
1 大いなる死―『遊行経』
2 死と生の協奏―『無量寿経』
3 他者と関わり続ける―『法華経』
4 否定のパワー―『般若心経』
5 心の中の地獄と仏―智顗『摩訶止観』
6 禅の中の他者と死者―圜悟『碧巌録』
第2部 日本化する仏教
7 現世を超えた秩序―景戒『日本霊異記』
8 仏教は俗世に何をなしうるのか―最澄『山家学生式』
9 この身のままに仏となる―空海『即身成仏義』
10 贈与する他者―親鸞『教行信証』
11 脱構築から再構築へ―道元『正法眼蔵』
12 宗教国家は可能か―日蓮『立正安国論』
13 異教から見た仏教―ハビアン『妙貞問答』

[J0473/240602]

田上孝一『はじめての動物倫理学』

ベジタリアンやヴィーガンを倫理学の側面から考えるのによい。啓発的な内容で、この本を読んでしまうと、肉食がしにくくなってしまうかも。僕はまだそこまで「回心」できないが。クセを感じる箇所もあるが、勉強になる。集英社新書、2021年。

第1章 なぜ動物倫理なのか
第2章 動物倫理学とは何か
第3章 動物とどう付き合うべきか
第4章 人間中心主義を問い質す
第5章 環境倫理学の展開
第6章 マルクスの動物と環境観

前半は、功利主義、義務論、徳倫理という三つの立場から、動物倫理の基礎を検証する。動物倫理学の創始者といえばピーター・シンガーだが(というか、僕はシンガーしか知らない)、彼の立場は功利主義の立場から、動物の苦痛を問題にするものだという。ただ、そうだとすれば、苦痛を感じさせないように動物を利用・搾取することは問題ないという解釈も排除しきれないので、カント的な義務論を動物に応用することや、徳倫理を適用することが選択肢に入ってくるのだという。

マルクスの専門家ということもあり、後半で動物倫理学に対するマルクス思想の可能性を論じているところも興味深い。人間の商品化が問題化するマルクス思想は、とうぜん、動物の商品化の批判にも通じている。また、マルクスは唯物論の立場から、人間と外的自然を連続的に捉えることによって人間を自然的存在と見なしたのであり、観念論的な心身二元論と、それに基づく環境に対する人間中心主義を克服する可能性を有しているという。

やはり、これら現代の動物倫理学も西洋の思想界がリードしている。思想的基礎を固めて人間中心主義を押しすすめるのも西洋だが、こうして原理的な反省を進めるのもまた西洋である。日本人として、「原理」を全面に掲げる西洋的やり方に反感を持つ人たちの感覚もよく分かるのだが、だからといって、口先だけのアニミズム称揚や自然賛美をしながら、肉でも魚でも、絶滅危惧種までなしくずしに取ったり食べたりする日本社会のあり方も肯定できない(自己嫌悪)。

動物倫理学は、あらためて「人間とは何か」という問いを突きつける。日本ではよく、動物愛護・自然愛護に対する冷笑の一種として、「そもそも愛護を語ること自体が人間の慢心」的な言説がなされたりするが、やはりそれはそうではない。動物に苦痛を与えるか与えないかを選択できるのは、やはり人間ならではの条件である。動物が動物を捕食するのとはわけがちがう。一方で、動物を愛護する根拠のひとつは、「人間も動物も同じ感覚的な主体である」という見方である。だとすれば、人間を特別視し、人間独特の責任を認める見方と、人間と動物を本質的に同じ存在と捉える見方と、両者をミックスしたところに動物倫理学は成立しているということになるはずだ。
[J0472/240521]