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サラ・ワイズ『塗りつぶされた町』

栗原泉訳、紀伊國屋書店、2018年、副題「ヴィクトリア期英国のスラムに生きる」。原著は Sarah Wise, The Blackest Streets: The Life and Death of a Victorian Slum, 2008.

第1部 空文
 1 飢餓帝国―オールド・ニコル 1887年
 2 スラムはこうして生まれた
 3 ベイト医師のジレンマ
 4 旧態依然の堂々めぐり
 5 ニコルの不動産オーナーたち
第2部 スラムに生きる
 6 プリンス・アーサー
 7 助けの手
 8 霧のなかの幻影
 9 家庭のなかへ
第3部 対策
 10 象を突っつく―社会主義とアナーキズム
 11 声を上げる―露店・予防接種・義務教育
 12 スラムを科学する―チャールズ・ブースの貧困地図
 13 ファーザー・ジェイ―スラムの牧師
 14 汚れた血―貧困の優生学
 15 スラムを物語る
第4部 ストライプランド
 16 夢見る人たち―ロンドンの行政改革
 17 バウンダリー・ストリート計画―交錯する思惑
エピローグ

お目当てのチャールズ・ブース関係の記述は多くはなかったが、19世紀ロンドン下町の様子が分かっておもしろい。最近読んだところでは、スティーヴン・ジョンソン『感染地図』とも相通じる内容(ジョン・スノーは登場しないが)。スラムの暮らし、児童虐待の実際、忌み嫌われた救貧院や予防接種、けっして純粋なだけではない慈善活動、教会の活動、ウィリアム・モリスなど諸種の社会改良思想や、いくつかの――あまり多くはなかった――抗議運動などなど。当時のスラムの記録が比較的残っているのは、どうもその頃、スラム見物というのは娯楽のひとつだったのだとか。

船舶会社で財を築いた後、独自のしかたで貧困調査をはじめたチャールズ・ブースは、貧困の解決策ではなく、まずは公平な調査を心がけていたという。彼はユニテリアンで、コントの実証主義の影響を受けていた。ブースは1840~1916年の人だから、1813~1858年のジョン・スノウ、1820~1910年のナイチンゲールより少し後の世代と言えるか。

ブースの仕事について、次のサイトでは彼の「貧困地図」と調査ノートを閲覧することができる。
> Charles Booth’s London

一連の調査の出版物は、4種類あるらしい。
(1)『人々の生活と労働』(『人々の労働と生活』)2巻本(1889)
(2)『人々の生活と労働』第2版・2巻本+補巻(1889-1891)
(3)『ロンドンの人々の生活と労働』9巻本(1892-97)
(4)『ロンドンの人々の生活と労働』17巻本(1902-3)

Internet Archive から拾ってみると・・・・・・。

(2)第2版2巻本+補巻
第1巻(1891)「東ロンドン」
第2巻(1891)「ロンドン」
補巻(1891)

(3)9巻本
第1巻(1892)「東・中央・南ロンドン」
第2巻(1892)「通りと人口分類」
第3巻(1892)「建物・学校・移民」
第5巻(1895)「職業で分類した人口」
第6巻(1895)「職業で分類した人口・続」
第7巻(1896)「職業で分類した人口・続」
第8巻(1896)「職業で分類した人口・続」
第9巻(1897)「比較・調査・結論」

(4)17巻本
第1編 貧困 第1巻(1904)「東・中央・南ロンドン」
第1編 貧困 第3巻(1904)「建築・学校・移民」
第1編 貧困 第4巻(1902)「貧困に関連した東ロンドンの職業」
第2編 産業 第1巻(1903)「人々の分類・建物・貿易・木製品・金属品労働者」
第2編 産業 第2巻 (1903)「貴金属・時計・器具・紙・印刷・貿易・織物・諸種の製造業」
第2編 産業 第3巻(1903)「衣服・食料・飲料・商人・事務員・交通・労働」
第2編 産業 第4巻(1903)「公務員・専門職・家事・非雇用層・施設収容者」
第2編 産業 第5巻(1903)「比較・調査・結論」
第3編 宗教的影響 第1巻(1902)「テムズ側北側ロンドン・外周」
第3編 宗教的影響 第2巻(1902)「テムズ川北側ロンドン・内周」
第3編 宗教的影響 第3巻(1902)「シティとイースト・エンド」
第3編 宗教的影響 第4巻(1902)「内南ロンドン」
第3編 宗教的影響 第5巻(1902)「南東・南西ロンドン」
第3編 宗教的影響 第6巻(1902)「外南ロンドン」
第3編 宗教的影響 第7巻(1903)「要約」(*こちらだと1902年)
最終巻 社会的影響と結論(1902)

>*不明の巻

ふーむ、疲れた。欠けている巻も、ちゃんと探せば出てくるかも?・・・・・・というか、ブースの著作については、もっと便利にアクセスできるよう整備すべきだね。

[J0248/220307]

樋口直美『誤作動する脳』

医学書院、2020年。というか、この「シリーズ・ケアをひらく」。このシリーズの質の高さは周知のことだけでも、この本もそうで、よくもまあこんなに良書を連発できるものだと、あきれるほどだ。

I ある日突然、世界は変わった
II 幻視は幻視と気づけない
III 時間と空間にさまよう
IV 記憶という名のブラックボックス
V あの手この手でどうにかなる
VI 「うつ病」治療を生き延びる

幻視をともなうレビー小体型認知症にかかった著者の、生活や体験の記述。著者自身の体験の記述は、東田直樹さんの仕事を思い出すような種類のものだが、著者の樋口さんは40歳を過ぎてから症状が出て、それとのつきあい方を築く過程があるだけに、一般社会やいわゆる「常識」の特徴をあぶりだす記述ともなっている。とくに後者についてメモ。興味ぶかい記述は多いので、とうていメモしきれないけども。

「私たちを社会から切り離すのは、単純な無知や根拠のない偏見ではなく、専門家の冷酷な解説だと私は感じていました。それは病気の症状そのものよりもずっと重いものでした。これは人災だと、私は思いました。そして人災であれば、変えることができると」(90-91)

ストレスはてきめんに「症状」を悪化させる。たとえば、コインの種類をまちがえることについて。「ただもしこれで一度でも店員さんから傷つくようなことを言われたり、周囲から一斉に白い目を向けられたりしたら、次からは財布を開くたびに緊張するようになるかもしれません。嫌な体験をしないことは、とても大切に思えます」(144)

「「認知症になると感情のコントロールもできなくなる」と言われますが、それは違います。ただ追いつめられているだけなのです。これまで数え切れない失敗とつらさを経験してきた私たちには、余裕がありません。「また気づかないうちに何か失敗するかもしれない」という不安を心の底に隠しながら、気を張り続けているのです」(147-148)

これ自体は認知症の話じゃないんだけど、「車いす体験をした子どもたちが、「こんなに大変だって、よくわかりました」と言うのを聞いて、「いや、そんなに大変じゃないよ、と思う」と車いすユーザーの熊谷晋一郎さんが話されて、一緒に笑ったことがあります」(170)。なるほどなるほど、たしかに社会的障壁のような大変もあるにしても、大変じゃないこともあるはず。かんたんに「大変だとわかった」と言ってしまうのは、想像力の欠如というか、停止かもしれない。「「できる」と「できない」の二つの極のあいだに無数のバリエーションがあることは、あまり知られてこなかったのです」(183)。

認知症はよく、中核症状と周辺症状という区分で説明される。この区分はたいへん有益と思うが、プレッシャーが幻覚を誘発するように、実際の症状では両者は強く関わりあってもいる。加えて本書第VI部では、薬の副作用と病気の症状を区別することは難しい、というテーマも扱われていてさらに入り組む。

本書・第I~V部と、第VI部ではぜんぜんテイストがちがう。第I~V部は、認知症とのつきあい方をある程度確立したあとの話で、落ちついた筆致。「あとがき」をみたら事情や後日談が書いてあったが、第VI部はかなり重い、苦闘の記録となっている。学問に詳しいとかではなくで、知的な勉強家で努力家の方なんだと、第VI部まで来ると改めて感じる。そういう人だから第I~V部の境地にまで辿りついたわけで、そうじゃないタイプで同じ症状を抱えた人の苦しみのあり方もちょっとだけ気になるところ。

[J0247/220305]

金井利之『コロナ対策禍の国と自治体』

副題「災害行政の迷走と閉塞」、ちくま新書、2022年。

序章 コロナ元年
第1章 災害対策と自治体
 1 災害行政組織の特徴
 2 災害行政対応の特徴
第2章 コロナ対策禍と自治体
 1 追従・忖度から放縦へ
 2 排除と鎮静
 3 折衷と流行
 4 非難応酬
第3章 コロナ対策の閉塞
 1 三すくみの閉塞―蔓延防止・医療提供・生活経済
 2 玉突きの閉塞
 3 仮想対応の閉塞
 4 生活・経済・財政の閉塞
 5 公表と差別の閉塞
終章 コロナ三年

国や行政による新型コロナ対策自体が「コロナ対策禍」を引きおこす、その実態やメカニズムを記述・分析。2021年5月出版の本なので、新型コロナ対策・約1年間の記録となっている。

斜め読みも斜め読みなので、書評というより印象だが・・・・・・。網羅的でかっちりとした記述で、新型コロナ対策を材にとった、行政学のテキストブックのよう。この本単独で読みとおすのはなかなか骨が折れそうが、たとえば別の国や組織のケースであったり、別の出来事のケースなどと比較検討する意図をもってこの本に当たると、役に立ちそうな気がする。

[J0246/220305]