副題「スコアブックの中の昭和史」、徳間書店、1988年。
プロローグ :昭和62年秋、横道一郎の回想
第1章 台覧試合のあとで
早稲田大学野球部、軽井沢夏季練習場
早大黄金時代の幕開け
「もっと近くで見たい」
怒鳴られた北白川宮殿下
「宮内省にも野球チームを…」
小倉の豪腕、有田富士夫
野球学生の憧れ、大毎野球団
「有田、横道、宮内省へ入れ」
〝御真影〟を撮った写真館
第2章 皇室、宮内省の野球熱
キャプテン・デンカ
早慶戦のきっかけ
早大野球部のアメリカ遠征と全国制覇
早大らしからぬ紳士、泉谷裕勝
早慶戦、冬の時代
「主猟寮勤務ヲ命ス」
明治の野球使節たち
第3章 小さなエースの「球道人生」
函館の野球歌人、宮下勇
「僕は落第を覚悟した」
学業が主で、野球が従
「煙草はやめるように努力しなさい」
西に浜崎あり東に宮下あり
早実野球部の北海道遠征
〝番狂わせ〟で早実完敗
「先生、何も食うものがありません」
宮下勇の宮内省入り
第4章 天皇の野球チーム
〝治安維持法〟前夜の身元調査
親任官、勅任官、奏任官、判任官そして雇員
「大内山」のスポーツ動向
〝殿様軍〟デビュー
「天皇の野球チーム」の〝本業〟
「あんたはアカじゃないの」
大宮人の大凱旋
巨人対阪神、天覧試合までの長い道のり
安田生命を破り二連覇
勝てば赤坂、神楽坂の料亭へ
第5章 ブーム到来
「天皇の野球チーム」の〝使命〟
新調したユニフォーム
職業野球対早大野球部
天勝対芝浦、プロの戦い
涙をふるって解散を決意
対天勝野球チーム戦の真相
第6章 軍靴の響き
大宮人たちそれぞれの終焉
「おまえもすぐに大連にこい」
逆ワインドアップ事件
何のために満州にきたのか・・・・・・
全国都市対抗野球の創設
宮内省KC倶楽部
〝ベースボール人生〟の蹉跌
軍国主義の台頭
「もっと軍務にご精励願いたい」
第7章 サムライたちの死
「天下の浪人」泉谷裕勝の死
「球道真勇居士」宮下勇の死
「主人が宮内省に勤めていたんですか・・・・・・」
「おれは天皇陛下に野球を教えた有田富士男だ」
「女子プロ野球の監督をやれ」
エピローグ
安部球場の終幕
〝青春〟の終焉
証言「天皇の野球チーム」:三笠宮崇仁殿下特別インタビュー
大正期に、当時摂政宮だった昭和天皇の提言から、宮内省に設置された野球班のエピソードを中心に、当時の野球界のようすが描かれた一冊。本書が扱っているのはちょうど、1903年に第一回早慶戦がはじまり、1936年に日本職業野球連盟が創立された、その間の話。
巻末の三笠宮崇仁ら関係者へのインタビューも興味深い。宮内省野球班が名実とともに「天皇の野球チーム」だったのは、大正の終わり3年間、1923~1926年のことだったという。
早慶戦、女子プロ野球、天勝野球団などの話題のほか、六代目尾上菊五郎率いる「ナインスター」の話、たしか大昔に読んだ浜崎真二か誰かの伝記にも出てきていたかなあ。
[J0373/230614]
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