副題「性・カネ・恨から実像に迫る」、中公新書、2023年。

第1章 メシヤの証し―文鮮明とは何者か
  再臨主の死と相続をめぐる争い
  韓国の民衆宗教とキリスト教
  統一教の形成
第2章 統一原理と学生たち―勝共による日本宣教
  日本宣教と初期信者たち
  統一教会と政治運動
  統一教会と学生運動
  統一教会の説教
第3章 統一教会による人材と資金調達の戦略―布教・霊感商法・献金
  日本統一教会の使命
  資金調達の組織構造
  勧誘・教化の過程と回心のメカニズム
  主婦・高齢者と先祖解怨
第4章 祝福と贖罪―韓国の日本人女性信者
  祝福
  韓日祝福と信仰生活
  祝福家庭の実態とジェンダー不平等
第5章 統一教会の現在と未来―法的規制と新宗教
  統一教会による違法行為
  安倍元首相銃撃事件
  統一教会の解散命令請求と宗教規制
  被害救済の道筋

山上徹也による安部晋三銃撃事件でにわかに注目を浴びることになった旧・統一教会。カルト宗教対策の第一人者で、統一教会研究でも業績のある著者による解説書。

なるほど、統一教会は時代によってかなり性格を変えてきたのだと。
「〔日本社会では〕1980年代になると共産主義国家や国内左派勢力による国家的危機という切迫感も薄れ、黙示録的な地上天国実現の夢も色あせた。同時代の人々の願望に見合った宗教運動に転換しなくては、新左翼のセクト同様に活動家だけの組織になったことだろう。大きな社会問題が見えにくい時代において豊かかさの中の心の貧しさや人間関係の希薄化に悩む人々に働きかけるには、統一原理ではあまりにものものしく、時代がかっていた。そこで大幅な教説の換骨奪胎が行われ、人々のニーズにも合わせた実践的信仰を創造したのである。それは日本の統一教会独自の勧誘・教化システムとして確立されたが、資金調達のための霊感商法を同時に実践するという課題のために特異な信者養成プログラムにならざるをえなかった」(128)。

イギリスでの統一教会の活動を研究したアイリーン・バーカーは、新宗教信者の信教の自由を擁護してカルト批判陣営と対峙したとかいう話もあったり(189)、統一教会の日本における活動の独自性もひとつのポイントで、歴史的に、日本が韓国に対して罪を負っているという観念のもとに、「資金調達活動自体が日本の統一教会の使命」とされたことが、日本における活動が社会問題した一要因になっている。

あるいはまた、韓国の財閥に多いコングロマリット(複合事業体)として展開したことが統一教会の「隠れ蓑」になり、政治家なども「統一教会からお座敷がかかっても出向くには憚られるが、関連団体からであれば「別組織だと思っていた」と言えるようなカラクリとして働いたという(255)。

統一教会に疑問を持ちながら、文鮮明に対して「ひょっとして本当にメシヤだったらどうしよう」と感じる信者のことば、このこと自体はよくあることだなあと思う。著者は、それが司法や行政による強力な介入を容認することになると、マインドコントロールという言葉を使うことは避けているが、統一教会最大の問題は「元信者たちが統一教会の信仰を自発的に選択したという前提が成り立たないこと」だと述べている(238)。別の言い方をすれば、宗教の側が「信教の自由」を悪い意味で利用し「侵害する」ということもあるということか。

統一教会がもともと教義とはまったく関係がない霊感商法に走ってそこに最適化していったこともそうだが、反日(卑日)的な思想をもっている統一教会が、反共連合を通して自民党と協力関係にあったこと。「美しい日本」を唱えていた安倍晋三や自民党が、選挙協力を理由に、反日組織たる統一教会と癒着していったこと。アメリカとの関係もそうかもしれない。統一教会にしても、日本の政治家にしても、一番恐ろしいのは「なしくずし」に動くこの原理原則に対する無節操ぶりだ。無原則なくせに、無原則であることを覚悟するわけでも自覚するわけでもない。恐ろしいよほんとに。

[J0394/230828]