Author: Ryosuke

石井理恵子『英国パブリック・スクールへようこそ!』

新紀元社、2018年。英国好き、パブリック・スクール好きのライターさんが書いた本とのこと、たんに写真集的な本かとおもえば、あれこれの非常に細かな情報であったり、さりげなくパブリック・スクールに批判的な意見も紹介したりと、なかなか密度が濃い。とくに代表的・伝統的な「ザ・ナイン」に焦点を当てる。なお最近は、パブリック・スクールという呼称より、インディペンデント・スクールという言い方のほうが一般的な模様。

第一章 入学まで
第二章 学生生活
第三章 卒業後

たとえば、こんな情報。イギリスの一般的な学校システムの概観。学校ごとの年間費用。制服の細かいルール、おもしろい。衣料品や生活用品の細かな価格。学食のメニュー。学則。それから、ターミノロジーと呼ばれる学校独自の用語。

イギリスだけが、産業「革命」を経験していない、なぜならば、いわゆる産業革命が従来の社会からの断絶を生むことがなく、近世・近代・現代と連続性を保っているから、という発想を述べていたのは川北稔さんだったか? こういう、日本にはないエリート育成システムをみると本当にそうで、しかも国際化しながら伝統を保つことに成功しているように見える。GDPベースの経済指標などでは測れない、イギリスという国の実力を感じざるをえない。

[J0073/200819]

立石泰則『戦争体験と経営者』

岩波新書、2018年。著書の名前に見覚えがあったが、『地方の王国』という地方財閥のルポを読んだことがあったと思い出す。財界の話題のほか、三原脩の伝記でも有名なベテラン・ジャーナリスト。

第一章 戦地に赴くということ〔堤清二、中内功〕
第二章 日本軍は兵士の命を軽く扱う〔加藤馨〕
第三章 戦友の死が与えた「生かされている」人生〔塚本幸一ら〕
第四章 終わらない戦争

戦争体験自体を書きたいのか、戦争体験が経営者に与えた影響を書きたいのか、意図としてはたぶん後者なのだろうけども、たんに評伝が並んでいるといった体で議論としては中途半端。とはいえ、個々の記述には迫力がある。戦争中、それぞれが目撃した場面。わずかなタイミングがわけた運命。それぞれが掲げた「たんなる経営」を超えた理念。

戦争では、生涯のトラウマになるような、その一番悲惨な部分が一般庶民や下層の兵士に押しつけられるということもよく分かる。一箇所だけ引用を、これは戦場ではなく引き揚げの話で、ワコールの川口郁雄の体験。
「朝鮮の釜山から復員のため、最後の連絡船に乗った時のことである。最後の船ということもあって、甲板まで立錐の余地がないほど引き揚げる日本人で埋まっていた。途中でスコールにあっても、甲板にいる人間は動くこともできず、ただただ黙って雨に打たれるしかなかった。連絡船が朝鮮と日本の中間の距離にさしかかったとき、突然、将校や兵隊たちが軍刀や拳銃を次々と海に投げ込み始めたのだ。武装していると、占領軍に銃殺されるという噂が流れたためだった。
「そんなシーンを川口が見ていると、次に老婦人がひとり、海に身を投げたのだった。どうしたことかと思っていると、またひとり、老婦人が脱いだ履き物を揃えて海に飛び込んだ。さらに後に続く老婦人を、誰も止めようとしなかった。
「「普通なら、飛び込んだ海面の回りは船は一、二度回るんですよ。飛び込んだ人を助けるために、ね。でもその時は、そのまま船は行ってしまいました。海に飛び込んだのは、日本に帰っても身寄りがいないのでひとりでは生きていけないからとか、おばあさんですからね。本当のところは、本人に聞いてみないと分かりませんが。悲惨なことになったなあと思いました」
「川口は複雑な思いを胸に秘めて、山口県の仙崎に上陸した」(119)

[J0072/200815]

上田信『死体は誰のものか』

ちくま新書、2019年。

第1章 武器としての死体―中国
第2章 滞留する死体―漢族
第3章 布施される死体―チベット族
第4章 よみがえる死体―ユダヤ教とキリスト教
第5章 浄化される死体―日本

なるほど、おもしろい。「死体はただのモノなのか」という視点からした比較文化的考察。著者の専門である中国の項が白眉で、死体を盾にして抗議や恐喝を行う「図頼(とらい)」の風習を手がかりに、死体をめぐる文化の深層に迫る。

「漢族の儀礼の中心的な主題は、死者ではなく「死体」である」(50)。「漢族の文化における「死体をめぐる儀礼」に特徴的に見られることは、死体を強く恐怖しているという点である。強力な邪気を発している死体は、きわめて危険である。危険な死体は、社会から送り出す必要がある」(57)。

埋葬された死体と子孫の運勢との関係について、「機械論的風水観」と「人格論的風水観」との論争があり、近年は水口拓寿が「機械論 and/or 人格論」論争として整理をしているとのこと(85-86)。

「図頼」的な感性を日本に求めると、鎌倉時代には遺言状に背くことを「死骸敵対」の罪科としている例がある(175)。しかし、鎌倉後期になると「死骸敵対」は「父子敵対」と呼ばれるようになったと。「死骸への恐れによって遺訓を守らせようとしていた状況から、倫理によって人を縛る方向に変わったことが示されている。成仏させられた死体は、もはや現世と関わることはできないのである」(180)。

[J0071/200814]