Category: Japanese Articles

疫病と世界史

疫病との関係から世界史を描いた、ウィリアム・マクニール『疫病と世界史』(佐々木昭夫訳、中公文庫、2007年、原著初版は1976年)。似たような主旨の本に、ベストセラーとなったジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』(倉骨彰訳、草思社文庫、2012年)などもあるが、個人的にはマクニールの方がおもしろかった。

疫病から世界史を捉えることのひとつの利点は、近代科学の一領域としての医療の発展を、過大にすぎず過小にもすぎずに評価できるところと思われる。なぜならば、感染症への対処法は、近代医学の成果がもっとも顕著にあらわれた主題であり、人口変動や死亡率などの数字でもって、はっきりとその効果を計ることができるからである。

疫病にスポットを当てたこの観点からすると、17世紀以前の世界史的な「発展」は、都市化といった生活環境の変動に対する生物学的反応としての「疫学的適応」の範疇に収まるものにすぎない。たとえば、マクニールが強調しているように、スペインがインディオを容易に征服することができた大きな要因は、たんに両民族の疫学的適応の違いにあった。

マクニールは言う。「医学的治療と医療機関が人類の平均寿命と人口増に大きな変化をもたらすのは、実はようやく1850年以降になってからのことである」(下巻139頁)。疫病との関係における人類社会という切り口からすれば、「近代」の画期はここにあると言うこともできるのではないか。

[J0007/170508]

ブータン本、2冊

たまたま手に取ったブータン本が2冊。

GNH(Gross National Happiness)すなわち国民総幸福の概念はブータン発信で有名だが、本林靖久『ブータンと幸福論』(法蔵館、2006年)はその辺りの関心から、ブータンの社会と宗教を紹介。

もう1冊は、チベット仏教研究者としてブータン社会に関わり、30年以上仕事を続けてきた著者による、今枝由郎『ブータンに魅せられて』(岩波新書、2008年)。

一番おもしろく、ブータンの様子を実感として感じられたのは、今枝本の前半、ブータン入国までの苦労や、図書館のようすを描いた体験談のところ。図書館長の高僧ロポン・ペラマの生き方の、実直さ真摯さが印象に残る。別の高僧の葬儀の話、ブータンの人にだけは荼毘の煙が「ふつうに」白鳥になって見えていたといったエピソードも。

今枝は、GNH概念についても、ある程度相対化しながら記述をしている。この本に説明があるとおり、GNH概念は、GNPないしGDP概念が生活実感と乖離するようになってきた結果、注目されるようになったものだろう。もちろん現在のブータン社会にも暗い面がないはずがないが、やはりここで描かれている人々や社会のあり方には心惹かれざるをえない。

もう一点、思いつくままに付けくわえておけば、この社会の中心に位置している宗教すなわち仏教について、それは個人の信仰であるとともに、同時にやはり社会全体で共有され維持されている信仰であることが決定的に重要とみえる。

[J0006/170508]

岩波新書・シリーズ日本中世史

昨年(2016年)に出た、岩波新書のシリーズ4冊。

・五味文彦『中世社会のはじまり』

・近藤成一『鎌倉幕府と朝廷』

・榎原雅治『室町幕府と地方の社会』

・村井章介『分裂から天下統一』

一応、年代ごとに分けてあるが、それぞれあまり関連がない独立の著作といっていいもので、あまりシリーズ感はない。

一番おもしろく感じたのは、第四巻で、さすがはこのトピックでの仕事も多い村井さん、世界史のなかの日本という視点から、近世前夜のようすを説得的に描いている。なかでも、文禄・慶長の役(朝鮮出兵)を扱った「16世紀末の“大東亜戦争”」という章が白眉。

第二巻、第三巻とも、従来の見方と異なる新鮮な記述があったが、第一巻にはちょっと違和感。地方での展開への配慮、文化史的な要素の重視など、ここ数十年の歴史学のトレンドを汲もうとしているようなのだが、まったくの素人目からみると、そうした試みもあたかもとってつけたもののように見える。

「中世の文化は家の文化を起点として、身体の文化を経て職能の文化が展開し、それらがこの時代には型として定着したのであり、さらには今日の社会へと継承されてきているのである」(239頁)というのが、第一巻最末尾のまとめの文章。では、中世以前の文化が身体の文化でないとしたらどんな文化なのだろうかとか、身体の文化と職能の文化のどこがどう関係しているのかとか、疑問だらけというのが正直な感想。

[J0005/170508]