Category: Japanese Articles

宮澤佳廣『靖国神社が消える日』

小学館、2017年。

序章 靖国神社は自衛隊員を祀れるか
第1章 遊就館「歴史記述」見直しの攻防
第2章 映画「靖国 YASUKUNI」の内実
第3章 首相の公式参拝と「国家護持」の関係
第4章 相次ぐ「靖国裁判」との戦い
第5章 「戦没者追悼新施設」を阻止せよ
第6章 「鎮霊社放火事件」が投げかけたもの
第7章 「富田メモ」と「A級戦犯合祀」の真相
第8章 突如浮上した「賊軍合祀」論
第9章 みたままつりの露店が消えた!
第10章 靖国「テーマパーク化」構想
第11章 「靖国」の未来を憂う
終章 靖国が靖国でなくなる日

著者は、靖国神社の幹部(禰宜)を務めた内部の方。出版当時の靖国神社、とくには11代宮司徳川康久氏(在職 2013~2018)の経営方針に対する批判の書となっている。また、坂本是丸國學院大学教授との関係が深い。「私が靖国に関連する企画を実施する際には必ず助けてもらってきました。だから私の「靖国論」は、ほぼ坂本教授の受け売りと言っても過言ではありません」(44)とまで。

とくに興味ぶかかったのは、「富田メモ」の解釈。筆者は「富田メモ」自体の信憑性は認めるが、それを「昭和天皇は、将来にわたってA級戦犯は祀られるべきでないと考えていた」と解釈するのではなく、「昭和天皇は、あのような時期にA級戦犯を祀るべきではないと考えていた」と解釈する(112)。筆者は、A級戦犯については「国の公務死裁定を受けた戦死者であり、まぎれもない「合祀資格予定者」であった」と理解しており(つまり公務死=戦死者とする)、合祀自体は正当であるとする立場である(133)。なお、このロジックから、亀井静香と徳川康久宮司が進めようとした「賊軍合祀」については、これを強く否定している(それにしても、徳川家の子孫が靖国神社の宮司になったのはどういう経緯なのか?)。

松平永芳宮司によるA級戦犯合祀やその後の靖国の動きについて筆者が批判しているのは、その「極端な秘密主義」である。もし、私的な宗教団体であれば、祭神を決めるのもその団体の自由であろうが、靖国神社は公共性を有する存在なのだから、現在の極端な秘密主義を改めねばならないというのが筆者の主張で、これは靖国が国家護持されるべきという主張と結びついている。松平宮司のA級戦犯合祀については、筆者はその手続きが「天皇に上奏のうえ決定すること」という伝統的な原則(要件)を踏まえていないことも指摘している(214)。

筆者の主張をパラフレーズしてみると、「もし、靖国神社が一宗教法人の立場に留められるのであれば、少数の宮司の判断で祭祀や経営の方針も変化してもかまわないことになるし、実際、そうした「私物化」(195)が生じている。本当にそれでいいんですか?」とまとめられそうである。さらにはこのように言う。「日本という国家も、日本人も、靖国という存在によって過去の戦争責任という罪穢(批判)を祓い去った気分になっているのではないでしょうか。そしておそらく、靖国神社が宗教法人であり続けるかぎりは、誰もが自己に降りかかった問題として考える必要はありませんから、このままの状況が延々と続くことになるのでしょう」(201)。

いまは筆者の主張自体を云々することはしないが、本書からひとつ確実に言えるのは、靖国神社の内部においても、この神社の「本質」やA級戦犯合祀問題に関する理解は一枚岩ではなく、複数の対立した解釈が存在しているということである。靖国神社内部ですら意見が分かれる状態ならば、この神社をめぐる諸問題に関して国民全体の統一的理解を築くことは難しいと思うが、逆に、そうした多様な解釈を容れる存在であるからこそ、一種の宙ぶらりんな状況の下に存続しつづけているとも言えそうである。

[J0386/230803]

広田照幸『学校はなぜ退屈でなぜ大切なのか』

ちくまプリマー新書、2022年。

第1章 教育と社会化
第2章 学校の目的と機能
第3章 知識と経験
第4章 善人の道徳と善い世界の道徳
第5章 平等と卓越
第6章 人間とAI
第7章 身の回りの世界とグローバルな世界

一読して淡泊な印象が残るけど、それがポイントという一冊。教育問題を語るとなると、「べき」論に走ったり、イデオロギー的な主張になりやすいところだけど、そういったやり方から離れたところから学校教育をめぐる問いを考察する。輪読会などで、この本をもとに議論を膨らませるといった使い方をしてもよそさうだ。

[J0385/230801]

小林千草『女ことばはどこへ消えたか?』

光文社新書、2007年。

はじめに 「ちげーよ」と「おひや」「おかか」:共存の不思議、それこそ現代日本語!
第1章 100年前、漱石『三四郎』の女ことばから
第2章 200年前の『浮世風呂』の女ことば:『三四郎』および現代との距離を計りつつ
第3章 「おことば」「もじことば」のルーツを遡る
第4章 『三四郎』より100年後、現代女子学生の言語実態と言語感覚
第5章 女ことばの100年 “まとめ”
おわりに 未来へ向けて:女であり、人間であることの表現史

人文書でもとうぜん、感覚的に合う本・合わない本というものはあるもので。女ことばの歴史を追った本だが、テンポがあわない。僕の感覚からすると、記述が冗長散漫すぎる。まあ、こういうテンポだからこそ、できる研究上の発見というのもあるのかもしれないが。ことばの変化に価値判断は入れないという旨の発言もあったようにおもうが、はしばしに「最近の女ことばの乱れ」を批判するような語り口がにじみ出ているのも気になる。気になりはじめるともういかんのだが、自分の論文をずらりと並べつつ、どうも公平に全体を網羅しているようにもみえない「主要文献一覧」も品がいいとは言えないね。

『ことばの歴史学』(丸善ライブラリー 、1998年)がこの主題では著者の代表作のようだから、そちらを読んでから判断すべきかもしれない。

[J0384/230721]