Category: Japanese Articles

瀬地山角『炎上CMでよみとくジェンダー論』

光文社新書、2020年。

序  章 なぜCMは炎上するのか
第1章 子育てママの応援かワンオペ礼賛か    
第2章 ファッションや化粧品のCMは難しい?
第3章 何が「性的」とみなされるのか?
第4章 「はたらけ!」といわれる男たち
第5章 マイノリティと言葉の政治
第6章 履いている下駄の高さ
巻末付録 広告の“炎上”史

炎上広告を、訴求対象の軸「女性を応援・共感したつもり」―「男性の欲望の表出だった」と、炎上ポイントの軸「性役割」――「外見・容姿」という二軸からなる四象限で分析しているところは、たしかになるほど感がある。

でも、それだけかも? ジェンダー不平等がなかなか改善されない日本社会という認識はよくわかるし共感する。が、本書のCM分析と記述は徹頭徹尾その認識に沿った批判で、意外性や発見がないかも。

あとがき末尾には、「私にとってのゴールは、この本のメッセージがCMにかかわる男性たちと、全国の女子高生たちに届くことです」とあるので、ま、僕みたいのは最初から対象外なのかな。

[J0061/200728]

松岡亮二『教育格差』

ちくま新書、2019年。大規模な全国調査であるSSM調査やSSP調査を駆使して、幼・小・中と、教育をめぐる格差問題の実態を辿る。

第1章 終わらない教育格差
第2章 幼児教育――目に見えにくい格差のはじまり
第3章 小学校――不十分な格差縮小機能
第4章 中学校――「選抜」前夜の教育格差
第5章 高校――間接的に「生まれ」で選別する制度
第6章 凡庸な教育格差社会――国際比較で浮かび上がる日本の特徴
第7章 わたしたちはどのような社会を生きたいのか

いくつかメモ。

――「近年に比べれば注目されなかった経済安定成長期の1970・1980年代にも「子どもの貧困」は実数として多く存在したし、貧困層と非貧困層の大卒割合の格差は明らかである」(41)

――「1990年代、教育価値志向は地方(非三大都市圏)のほうが高かった。2000年代以降は逆転し、三大都市圏のほうが高い」(80)〔ふーむ?〕

――「実際のところ、学校教育の効果を検討したアメリカの研究によれば、出身階層による学力格差は学期中に縮小するが夏休み中に拡大する。夏休みは学校によって生活時間が構造化されていない「自由」な状態であるので、SES〔社会経済的地位〕による親の子育て格差が直接的に繁栄されることになる。

――「各国内で低SES〔社会経済的地位〕の生徒が高学力になる割合は低い。すなわち、「生まれ」による学力格差はどの社会においても存在し、日本の割合は国際平均と同水準である」(250)

――著者が提示する、「教育論議のメリーゴーラウンドから脱出する」ための4ヶ条、(1)価値・目標・機能の自覚化、(2)「同じ扱い」だけでは格差を縮小できない現実、(3)教育制度の選抜機能、(4)データを用いて現実と向き合う。〔それから、AO入試のような「多様」な基準で人を評価する方法が、評価の多角性および不透明性のゆえに、親のSESの影響を大きくするという指摘も重要に思われる〕

結論として13項目を挙げているその内のひとつが、「価値・目標・機能の自覚化、「扱いの平等」の限界、教育制度の選抜機能で意識した上で、現状把握なき「改革」のやりっ放しを止めよう」。ほんとにね。松岡さんの提言は、実は多方面に対するものが混じっていて、いわゆる教育現場で考えるべきものと、政策水準で考えてほしいものと、両方が大事だけんね。

[J0060/200724]

吉川徹『日本の分断』

光文社新書、2018年。著者は、専門である計量社会学で精力的に仕事をしているが、『学歴社会のローカルトラック』のような厚い質的調査でも業績のある社会学者。

第1章 忍び寄る次の時代
第2章 現役世代の再発見
第3章 学歴分断社会
第4章 人生の分断
第5章 分断される「社会の心」
第6章 共生社会に向かって

いくつかのメモ。

―― 男性でも女性でも、高卒と大卒の賃金格差は人生の後段になるほど差が開いていく。「男-女」×「非大卒-大卒」×「若年-壮年」の8集団に分けたとき、「壮年大卒男性」は659万円を稼ぎ、「若年非大卒女性」の140万円の4.7倍におよぶ。なお、就労時間は1.5倍程度の差しかない。「若年非大卒男性」は322万円で、半分程度である。

―― 「若年大卒女性」の子ども数は0.91、「若年非大卒女性」は1.32。「社会経済的な立場が「8人」のなかで最も脆弱な若年非大卒女性に、日本社会全体の課題である少子化問題の解決を依存している――。この構造は、日本の子どもの貧困率の高さの大きな一因となっています」(143)。

―― 生活満足度や幸福度に関する調査から。「データが示す事実は、「幸福な若者たち」は大卒層、とりわけ若年大卒女性に限られているということです。若年非大卒男女は、「幸福な若者たち」ではなく、「絶望の国の少し凹んだ若者たち」だとみるべきなのです」(176)。

―― 社会参加の積極性について。「第一は、現代若者は決して一様におとなしくなっているわけではなく、消極性が目立っているのは、若者非大卒層だということです。第二は、壮年層、すなわち40代以上の大卒「拡大若者」たちが、若年層や同世代の非大卒層を上回る高い向社会性をもって、アクティブに日々を生きているということです」(191-192)。原田曜平の言う「さとり世代」と「マイルドヤンキー」とは、「若年大卒層と若年非大卒層の活動性の異なりを描いたものだと読み取れます」(192)。

―― 総合的にみて、不利な生活条件に置かれているのは、若年非大卒男女である。ただし、若年非大卒女性は既婚者や子どもが多く、社会政策面でもそれなりに注目されている。一方、若年非大卒男性は「要するに、彼らは総じて不利な暮らしを強いられながら、拍子抜けするほどおとなしく、活気と意欲に乏しい若者たちなのです」(218)。

こうして、若年非大卒男性は「分断」されていると、筆者は診断している。1990年代の日本は、現役世代の7割以上は非大卒層という非大卒中心社会であったというが(228)、ますます彼らの居場所が少なくなっていると。非大卒という「軽学歴」の人生を確信をもって歩んでいる人たちがいるのに、学費の負担軽減といったことばかりが語られる「現代日本は「大卒層だけをみている社会」なのだ」という(242)。

著者は非大卒層を、lightly educated guys すなわちレッグスと呼んで彼らが果たす社会的役割の重要性を認めることを提唱する。「大卒層の読者のなかには、レッグスは、自分たちと同じ「学歴ゲーム」をして、それに敗れた人たちであり、彼らの生活が苦しいのは自業自得だと考えている人がいるかもしれません。それは違います。レッグスは、10代の頃から、大卒層のあなたとは違う道を歩んでいる人たちであり、あなたの生活を脅かしてはいません。彼らはライバルというよりは、同じチームの別ポジションのレギュラーメンバーなのです」(248)。これに付け加えて著者は、レッグス層が、他の層よりも、実直な努力主義のエートスを保持していることを紹介している。

*

前半~中盤・調査結果の紹介部分と、終盤・レッグスの位置づけの話と、どちらもおもしろいが、かえって後者の方がなるほどと思わされる。やっぱり吉川さんすごいな。

学歴格差とか学歴社会批判というのがどうもよく分からなくて、出自主義から実力主義をめざすのであれば、基本は学歴社会的になるのではと思っていること。それから、中卒・高卒・大卒というアイデンティティやコンプレックスの問題、それからもっと単純な学校的な勉強に対する苦手意識といった問題が議論に混ざったりして、こうなるともう個人的には興味がなくなる。

でもこの本のおかげで多少見えたぞ。つまり学歴をめぐる議論には、全員が大学に進学することを是とする価値観と、高卒・中卒というキャリアにそれ独自の意義を認める価値観とが混在してきたわけなんだな。大学進学できないことを問題視する視点と、大学進学だけを価値あるキャリアとすることを問題視する視点。学歴社会について大きな問題とされているのは、大学進学を介した経済的・社会的格差の再生産なわけだが、この議論の枠組みではどうしても非大卒というキャリアの価値が見逃されやすい。ふむ、やっとちゃんとした考察の出発点に立てそうだ。

[J0059/200724]