Category: Japanese Articles

中部博『スーパーカブは、なぜ売れる』

中部博『スーパーカブは、なぜ売れる』(集英社インターナショナル、2018年)。

1958年発売のスーパーカブ、2017年には60周年を迎えると同時に生産累計1億台に達したというので話題になったところ。

本田宗一郎の開発過程の話もあるが、北米、東南アジア、南米と販路を広げていくところの話がおもしろい。その点では、ナショナル炊飯器を香港で売る話、中野嘉子・王向華『同じ釜の飯』(平凡社、2005年)の類書になるか。

まだ発展途上だった頃のマレーシアあたりでスーパーカブが活躍している話を読んでいると、その情景が浮かんでくるようだ。日本ではもう、その開放感は感じられられそうもないな。種子島では昔から高校生がスーパーカブ通学をするそうで、テレビCMにもなっていたが、太い道路を車が行き交うのではない、そういう場所だといいだろうなあ。

こういう本だから、生産面だけでなく販売面の話題も多くて、たとえばブラジルで頼母子講の会社をつくってバイクを売っているとかいう話。

[J0019/190212]

岸政彦『断片的なものの社会学』

岸政彦『断片的なものの社会学』(朝日出版社、2015年)。

近頃『社会学はどこから来てどこへ行くのか』や、芥川賞候補に挙がったことでも話題の岸さんの、ちょっと前に話題になった本。たしかに評判どおりのいい本かもしれないけど、タイトルに「社会学」とあると、業界人としては素直に読めなくなるといういかにも業界的な反応が自分にあって、最初からただのエッセイとして手に取ることができていたらどうだったろうなとおもう。

内容は、日常のさりげない感覚をうまく丁寧にすくいとった文章と、社会学的な啓蒙に通じる文章とが混ざっている。全体に嘘がないように書かれていて良い本なんだけど、一方で人文書の中でこの本だけが妙にもてはやされてしまう状況には、ちょっとなとおもってしまう。でも、この本すら読まれないよりはずっとましだが。

繊細な本という評判だが、むしろ強く断固としたものを感じる。ものごとを決めつけない、決めつけてはいけないと思うことと、決然たる姿勢はけっして相容れないものではなくて、むしろ決めつけないと思い切るという行き方だってある。

以下、部分部分のメモ的に。

「学生の聞き取りで面白かったのが、女性たちがつながりをつくっていくのに、玄関先の植木が一役買っている、ということだった」(p.47)。

田舎だと、自宅の農園で余った野菜だとか、釣りすぎた魚だとかをおすそ分けすることが、独特のコミュニケション回路になっているという風に考えてきたが、町部では植木がね。ふむ。植木だと、マイナー・サブシステンスとは言えないだろうけど。

「ずっと前に、ネットで見かけた文章に感嘆したことがある。こう問いかける書き込みがあった。カネより大事なものはない。あれば教えてほしい。これに対し、こう答えたものがいた。カネより大事なものがないんだったら、それで何も買えないだろ。おお、これが「論破」というものか」(p.195)

これはどっかで話したくなる。それで、「どこで読んだんだっけ・・・・・・」ってなる。だから書いておく。

岸さんは名古屋の出身なのかな? それで大阪市立大なのか。社会学業界でも関西は独特な学風があるようにおもうが、この本も関西だからこそという感じがする。自分のかってなイメージだが、関西では表面的なことばのやりとりは本当に表層的で、それはそれで成立しているコミュニケーションの世界がある。でも、ほんの一枚剥くとより内省的な世界があり、そういう世界があるよねっていうことを多くの人が言わず語りに共有しているという、そういう二重性があるイメージ。ふだん真剣なことを言挙げしにくい空気もあるけど、その分、真剣さが深まる面もあるというような。そういうイメージが、たとえば西成や鶴橋といったディープなスポットの点在する大阪の町並みと、二重写しになっている。まあでも、関西と一括りにしている時点で雑&雑なんで、それこそ関西各地の人の反論を聞いてみたい。

[J0018/190208]

町村合併関連2冊

松沢裕作『町村合併から生まれた日本近代』(講談社選書メチエ、2013年)。

江戸時代の藩・村・町というものが、現在における、国や県に対して「同心円」をかたちづくるような、空間的領域によってくぎられた単位ではなく、職能的な身分制に即した社会秩序の単位であるという、しごくもっともな指摘から、明治の町村合併への移行過程を問題にする。それまで村役人が担っていた村人の救済機能をめぐる変化がおもしろい。

本書における整理を引くと、市町村数の変遷は次の通りである。

1874年 78280

1888年 71314

1889年 15859

1945年 10520

1956年   3975

1985年   3253

2004年   3100

2006年   1831

2013年   1719

今井照『地方自治講義』(ちくま新書、2017年)は、原理的なことも含め、幅広く地方自治を論じる。

市町村合併に関しては恐ろしいことが言われていて、「明治・昭和など、国策としての市町村合併運動は、少なくとも自治体側には必要性や必然性がないまま国が推し進めたのですが、平成の大合併においては国の側にも何らの必要性や必然性がなかった」(90頁)。平成の大合併は、国から強制されたというわけでもなく、実質的な決定権のあった自治体の「自傷的とも言える行動」であり(94頁)、よく語られた合併による経済的効率性の向上も、思いちがいか雀の涙ていどのものであったと。日本社会って、こういう動き方をすることあるから恐ろしい。

時代的変遷について、「地域と生産力が分離する近代化が進展するにつれ、多くの人たちは会社などの法人に属することになります」(159頁)。「会社に属した人たちに対して、会社はかつての「村」の機能を果たしていた側面があります」。「ところが現在、会社は「第二の村」であることをやめ始めている。経済成長が高度成長から低成長へ、さらにゼロ成長に移行し、会社にその余力がなくなっているのかもしれない」。

ほかにも面白い論点として、地方自治に関する現行憲法の制定過程をていねいにたどっていて、GHQの押しつけ論が事実ではないことも傍証しているところ。また、人口減少や東京への一極集中化についても検証をして、問題は東京への人口集中ではなくて「むしろ東京圏人口の固定化」であると、一般的な言説を批判している。

[J0017/171204]