Category: Japanese Articles

『フェミニズムの政治学』

岡野八代『フェミニズムの政治学』(みすず書房、2012年)。

すごいなあ、これだけ明快な展望の下に、一連の思想を整理していて。このジャンル、知られなさすぎでしょう、って、自分が知らずにいただけの話なのだけども。

ケア関係が公的秩序から排除されてきたという「ケアの倫理」論の問題提起はだいたい共通しているが、ではそうした秩序をどのように組み替えていくかというところで、立場が分かれていく模様。岡野の場合は、普遍性一般性を備えた原理に対して個別性に立脚したケアの倫理が入る場所をつくるというのではなく、ケア関係のなかに普遍的一般的な契機を認めていくという立場。そしてそうしたケアの倫理は、必然的に暴力との対峙となるとともに、人に区分をもたらす国家の枠組みを超えていくものである。ただし、そうした暴力の対峙は、まったく非暴力としてのケアなるものの帰結ではなく、それ自体、暴力や強制に落ち込む危険性をつねにはらんだ実践としてのケアの中に含まれる契機である。さしあたり言葉の精密さを気にせず、ざくっとノートを書いてみたら、こんな風かな。

先に、岡野さんも参加している『ケアの倫理からはじめる正義論』(→[J0012/170522])の中の記述に疑問を呈しておいたけど、この本がその回答に、というか反論になっているんじゃないでしょうかね。

[J0013/170706]

ケアの倫理関連

必要があって、ここ数日で再読・新読(なんて言葉はないが)したもののメモ。倫理学やフェミニズム思想を知らないだけかもしれないが、キテイさんの議論は、ロールズ以降、一番重要だとおもう。

マーサ・A・ファインマン『ケアの絆』(穐田信子・速水葉子訳、岩波書店、2009年、原著2004年)。方向性は同じだけど、キテイの方が正義論としてラディカルであり、その分射程が広いという印象。逆に言えば、大枠で家族論の範疇にとどまっているファインマンの方が分かりやすいといえば分かりやすいが、『家族、積みすぎた方舟』(速水葉子・穐田信子訳、学陽書房、2003年、原著1995年)の方を読めば十分かなあ。上野千鶴子の解説もついているし。

有賀美和子『フェミニズム正義論』(勁草書房、2011年)。このあたりの議論を整理。整理としては有益かもだが、一言でいえば無難。20頁弱のコンパクトなレビューとしては、『講座 ジェンダーと法 第一巻』(日本加除出版、2012年)所収の岡野八代「ケアの倫理と法」がある。岡野『フェミニズムの政治学』は現在取り寄せ中で、またそのうち。

エヴァ・キテイ、岡野八代、牟田和恵『ケアの倫理からはじめる正義論』(白澤社、2011年)。『愛の労働』を読めば良くて、この本は要らない。どうせだったら、もっとちゃんとした入門書にしてくれたら良かったのに。一点気になったのが、著者のひとりが単身者を「ケアのフリーライダー」「ケアの一方的な受益者」と位置づけているくだりで、この発想ははたしていかがなものか。

まず、単身者はケア負担から逃げるためだけに単身でいるわけではない(笑、を入れてもいい笑)。それよりなにより、ケアをたんに、しぶしぶ誰かが引き受けるべき負担という面からだけ捉えてしまっていいのだろうか。

[J0012/170522]

幸福の哲学

アンドレ・コント=スポンヴィル『幸福は絶望のうえに』(木田元他訳、紀伊國屋書店、2004年)、青山拓央『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』(太田出版、2016年)。

コント=スポンヴィルの方は直線的にひとつの幸福理解を示し、青山の方は多くの幸福論とは一線を画して周到に幸福の哲学的考察を進める。青山本は、この主題をめぐる論点を網羅している点でも価値がある。

が、どちらも夢中に読んだというわけではない。それは、自分が考えたい問いが「いったい、幸福ということばを使う必要はあるのか」「あるとすれば、それはどんな場面であろうか」というものだからである。青山の本は「幸福はなぜ哲学の問題になるのか」というタイトルだが、この問いについては問うているようにはみえない。自分が簡単に読みすぎているからだろうか。

[J0011/170522]