Month: August 2024

青山秀夫『マックス・ウエーバー』

副題「基督教的ヒューマニズムと現代」、1951年に出版された古い岩波新書。佐藤俊樹『社会学の新地平』(岩波新書、2023年)にて、もっとも参考になった一冊だとして紹介されていたので、目を通してみた。旧カナで、ウェーバーもウエーバーとなっているが、面倒なので以下ウェーバーと表記することにする。

 序説
前篇 マックス・ウェーバーの人となり
 第1章 マックス・ウェーバーにおけるドイツとイギリス
 第2章 学者としてのマックス・ウェーバー
 第3章 自由主義者としてのマックス・ウェーバー
後篇 マックス・ウェーバーの学問的特徴
 第4章 近代社会の特徴
 第5章 近代社会の成立:「呪術の克服」を中心に
 第6章 此世における良き戦いのために

 著者は、ウェーバーを、ピューリタンの精神を受け継いだ「基督教的ヒューマニズム」を生き抜こうとした人物として描いている。ただし、ウェーバーのそれは、政治的自由と国民主義的な熱情を備えた、ドイツ的なキリスト教ヒューマニズムである。佐藤俊樹さんが指摘していたとおり、このような「求道者」「聖人」としてのマックス・ウェーバー像は今では支持されないが、ここに戦後日本のウェーバー像の原点があることが知られる。

 理論の説明はたしかにバランスがとれたもので、まずは官僚制をはじめとする近代社会の社会組織の問題から把握がなされている。テンニースと対置される部分について。

「社会の合理化について、彼は、外からの(世俗的な力による)それと内からの(非世俗的な力による)それとを考えた。この外からの合理化について、商業・市場の発展、すなわち、商品生産の発展をその原因としてウエーバーが重要視したことは、彼の社会理論全体から見て、きわめて明瞭である。・・・・・・第二にまた――この点が一層重要であるが――〈こういう外からの、したがって「世俗的」な力による合理化だけでは、(反世俗的な内からの合理化をまたずしては、)近代化は不可能である〉というのがウエーバーの根本の立場である。」(141-142)

 逆に、第二の点ばかりが強調されてもおかしいだろうということになるわけだろう。

 本書の「序」には、大塚久雄への謝辞が記されていて、「本書の構想はもともと同教授の御注意から出発している」(ii)とある。大塚が与えたその注意(示唆)とは、「「緊張」の問題がウエーバーで大切なこと」だそうだ(16)。
 青山秀夫は1910年生まれで、1992年に逝去しており、京都大学の経済学部で高田保馬に師事したらしい。一方、大塚久雄は1907年生まれで1996年没であり、大塚の方が少し年上ということになる。大塚が岩波新書で『社会科学の方法』を発表したのが1966年、『社会科学における人間』の方は1977年のようだが、青山と大塚それぞれのウェーバー論の受容のされかたのちがいも、ひとつの話題にはなりそうである。

[J0503/240825]

佐藤弘夫『人は死んだらどこへ行けばいいのか』

『人は死んだらどこへ行けばいいのか:現代の彼岸を歩く』(興山舎、2021年)およびその続編、『激変する日本人の死生観』(興山舎、2024年)。
 中世宗教思想史の研究者である著者が、中世人の他界観やその後の歴史の成り行きに思いを馳せながら、全国各地の聖地・史跡をめぐる。どの記述にも著者一流の歴史理解が貫かれていることともに、これだけの聖地・史跡が各地に分布していることに改めて印象づけられる。
 以下、この二冊で著者が訪れている場所を並べてみる。

川倉地蔵尊(青森県五所川原市)
西来院(岩手県遠野市)
遠野のデンデラ野(岩手県遠野市)
黒石寺(岩手県奥州市)
樹木葬の森(岩手県一関市)
骨寺(岩手県一関市)
川原毛地獄(秋田県湯沢市)
大湯環状列石(秋田県鹿角市)
三森山(山形県鶴岡市)
ムカサリ絵馬(山形県東根市)
立石寺(山形県山形市)
慈恩寺(山形県寒河江市)
瑞巌寺(宮城県宮城郡松島町)
遊仙寺(宮城県伊具郡丸森町、著者の家の菩提寺)
熊野神社(宮城県名取市)
津波跡地(岩手県・福島県・宮城県)
医王寺(福島県福島市)
八葉寺(福島県会津若松市)
岩船山(栃木県栃木市)
全生庵(東京都台東区)
回向院(東京都墨田区)
上行寺東遺跡(神奈川県横浜市)
江ノ島・龍ノ口(神奈川県藤沢市)
一の谷遺跡(静岡県磐田市)
文永寺(長野県飯田市)
立山と芦峅寺(富山県中新川郡)
四天王寺(大阪府大阪市)
一心寺(大阪府大阪市)
六道珍皇寺(京都府京都市)
愛宕山(京都府京都市)
紫式部の墓(京都府京都市)
春日大社(奈良県奈良市)
元興寺(奈良県奈良市)
箸墓(奈良県桜井市)
法隆寺(奈良県生駒郡斑鳩町)
當麻寺(奈良県葛城市)
高野山(和歌山県伊都郡高野町)
熊野(和歌山県)
金剛證寺(三重県伊勢市)
黄泉の洞窟(島根県出雲市)
弥谷寺(香川県三豊市)
岩屋寺(愛媛県上浮穴郡久万高原町)
別府の地獄めぐり(大分県別府市)

『人は死んだらどこへ行けばいいのか:現代の彼岸を歩く』には、「巻末年表」として、「日本における他界観の今日に至るまでの歴史的推移」が付されている。

[J0502/240823]

石井米雄『道は、ひらける』

副題「タイ研究の50年」、めこん、2003年。タイに魅了されて、外務省に勤務、大使館勤務中にタイでは出家をしたり、大学に通ったり。後には、創設直後の京都大学東南アジア研究センターに招聘される。まさに夢とロマンの学問だなあ。途中、若き梅棹忠夫がフィールドワークにやってきて、これと合流する話も。

第1章 中退また中退
受験生のころ
言語学へのあこがれ
小林英夫先生との出会い
外務省暮らし

第2章 ノンキャリ、タイへ
タイ留学時代
チュラーの思い出
稲作民族文化総合調査団
梅棹さんとの出会い
出家志願
得度式の思い出
大使館勤め
「ナンスーチェーク」蒐集のこと

第3章 再スタート
二度目の本省勤務
四面楚歌の東南アジア研究センター
地域研究ということ
学位取得のこと
ロンドンへの研究留学

第4章 旅、終わらず
上智大学へ移る
雲南旅行の経験から
学長業と研究と
学問は面白い

純粋な伝記ないし見聞録として刺激的な読み物。たとえば、商業出版が乏しい時代の貴重な出版物であった、葬式本といわれる「ナンスーチェーク」の収集の話とか。「そもそも「ナンスーチェーク」は、前世紀の末に始められた制度で、芸術局に保管されている手写本を印刷して普及させることにより文献の散逸を防ぐことができることから、それを功徳を生む行為であると考えたことに始まるタイ独特の習慣である」(116)。

「勉強が、申し訳ないくらい面白い。面白いなんて学問の冒瀆だ!と、怒られるかもしれない。だけど、面白いんだからしかたがない。だからやめられない。ただそれだけだ」(188)。なんと幸せな。

[J0501/240822]