Month: August 2024

新城拓也『患者に早く死なせてほしいと言われたらどうしますか?』

副題「本当に聞きたかった緩和ケアの講義」、金原出版、2015年。

オリエンテ−ション:緩和ケアをめぐる10の提言
1学期 痛みの治療と症状緩和
 第1講 痛みの治療1.─最初の対応
 第2講 痛みの治療2.─痛いと言わない患者
 第3講 痛みの治療3.─医療用麻薬の使い分け
 第4講 神経障害性疼痛
 第5講 呼吸困難・吐き気
 第6講 腹 水
 第7講 食欲不振1.─「食べる」悩み
 第8講 食欲不振2.─輸液
 第9講 倦怠感
 第10講 不 眠
 第11講 せん妄
2学期 鎮静と看取りの前
 第12講 鎮静1.─鎮静の説明
 第13講 鎮静2.─鎮静が必要な方へ
 第14講 看取りの前1.─死なせてほしい
 第15講 看取りの前2.─死の経過
3学期 コミュニケ−ション
 第16講 コミュニケ−ション1.─緩和ケアって何?
 第17講 コミュニケ−ション2.─がんの告知
 第18講 コミュニケ−ション3.─化学療法の中止
 第19講 コミュニケ−ション4.─余命告知
 第20講 コミュニケ−ション5.─家族ケア
 第21講 その他1.─患者の自殺
 第22講 その他2.─民間療法
 第23講 その他3.─医療者のバ−ンアウト
終業式のことば:あとがきにかえて

個人的には、せん妄の記述をチェックしながら。ほとんどのがん患者にはせん妄が出現する。せん妄は意識の夕暮れ時である。せん妄の患者はどこか呑気である。一方で、鎮静が必要になる原因の第一はせん妄であり、それは患者・家族・看護師ともにつらい体験である。

「終末期せん妄は過活動せん妄を回避し、低活動型せん妄の状態に誘導する、つまり「穏やかさ」を取り戻す治療が目標となります。・・・・・・穏やかに亡くなることができない患者のほとんどは、このせん妄による不穏が強いためです。鎮静の対象となる症状で一番多いのがせん妄です」(194)。

「特別な一日」ということ。「経験的に、患者と医師の間、家族と医師の間には「特別な一日」が訪れることがあると以前から感じています。この日は何かいつもと違うことが起こります。例えば、それまで落ち着いていた患者の痛みが急に強くなったり、全く別の用件で対応している間に、患者が人生におけるとても大事な話を語り始めたり、たまたま廊下で出くわした家族から患者の重大な問題点を告白されたりと、不思議なタイミングで急に「特別な一日」は訪れるのです」(19)。「「特別な一日」は、医師と患者、家族との間に心と心のつながりが生まれる大切な日になることが多いのです」(20)。「「特別な一日」の訪れを見失わないようにするには、結局医師の直観だけが頼りです。・・・・・・自分の直感が十全に働くような自分になれるよう、毎日自分の心身をメンテナンスすることが医師には求められるのです」(20)。

また、著者は、医師という職務を全うするためには、「自分を割れ」「社会的な役割を演じきれ」と述べる。その際、「たった一つの本当の自分」という見方を否定して、複数の顔がすべて「本当の自分」だとする、平野啓一郎氏の所論を引いている。

「病気は患者のもの」。「開業し2年が経とうとしている今、「患者の病気は患者のもの。医者や病院が取り上げてはいけない」と思うようになりました」(293)。

[J0500/240819]

千葉聡『ダーウィンの呪い』

講談社現代新書、2023年。著者はバリバリの生物学者らしいが、専門の科学思想史研究者と見紛う内容。

前半は、キラ星のような才能あふれる科学者たちが切磋琢磨しながら進化学を押し進めていく様子が描かれる。後半では一転、そうした科学者たちが優生思想の推進者となった歴史が示されるという、衝撃的ともいえる筋書きの一冊。

第一章 進化と進歩
第二章 美しい推論と醜い
第三章 灰色人
第四章 強い者ではなく助け合う者
第五章 実験の進化学
第六章 われても末に
第七章 人類の輝かしい進歩
第八章 人間改良
第九章 やさしい科学
第十章 悪魔の目覚め
第十一章 自由と正義のパラドクス
第十二章 無限の姿

本書の登場人物のいくらか。

■ チャールズ・ダーウィン
■ ジャン=バティスト・ラマルク
■ ハーバート・スペンサー: 適者生存の語を最初に使ったのはスペンサーだが、スペンサーはダーウィンの進化論を理解していなかった上、彼の理論的基礎は神の摂理を想定した進化理神論で、適者生存を重視していたわけでもなかった。
■ アダム・スミス
■ アルフレッド・ラッセル・ウォレス: ダーウィンに自然選択を適者生存の語に替えることを提案して受け入れられる。これが後の問題の導火線となる。
■ ベンジャミン・キッド: ダーウィンを曲解した『社会進化論』(1894年)がベストセラーに。優生学に反対した少数派。
■ ハーバート・ジョージ・ウェルズ
■ ピョートル・クロポトキン
■ トマス・ヘンリー・ハクスリー
■ アウグスト・ヴァイスマン
■ ヘンリー・F・オズボーン: 古生物の発展・普及に大きな貢献。優生学を推進。
■ フランシス・ゴルトン: 多方面にわたる天才科学者、「生まれか育ちか」の語をつくる。「優生学」という用語を創る。
■ ウィリアム・ベイトソン: ピアソンらと論争。グレゴリーの父親。
■ カール・ピアソン: ゴルトンの弟子、統計学の巨人。フェミニストとしても当時著名。優生学を牽引。
■ フランツ・ボアズ: ゴルトンの紹介でピアソンを知る。優生学を批判。
■ ロナルド・フィッシャー: やはり統計学からアプローチ、現代遺伝学の金字塔『自然選択の遺伝的理論』(1930年)にて、自然選択とメンデル遺伝、突然変異の完全な理論的統合を成し遂げる。優生学に積極的に関与。
■ レナード・ダーウィン(ダーウィンJr.): 英国優生教育学会に尽力。
■ ジョン・メイナード・ケインズ: フィッシャーとともにケンブリッジ大学優生学会を立ち上げる。
■ ジョサイア・ウェッジウッド四世: ダーウィンの家系と深い繋がりがありながら、優生思想と戦った政治家。
■ ピエール・ド・クーベルタン: 優生学的な思想のもと、近代オリンピックを創始。

そのほか、メモ。

「多くの歴史家は、19世紀にはいわゆる「ダーウィン革命」に相当する出来事は起きていないと総括している」(75)。当時流布した「ダーウィニズム」とは、実際には、ダーウィン自身の思想というより、それ以前より存在する目的論的な進歩史観であった。

ダーウィンは、反スピリチュアリズムの立場に立っていたらしい。それに対してスピリチュアリズムに傾倒したのがウォレスであった。

「人間社会に生物進化の考えを適用したのが、英国、米国、そしてナチスへと至るゴルトン流の優生学の系譜であるとするなら、当初から人間の進化を念頭に置いていたダーウィンの自然選択説そのものが、この系譜の発端だったと言えるだろう。ところがダーウィンのオリジナルな進化論は、原理的に「人種」の存在も、その優劣も否定する。生物は常に変化し、分岐し、そして進歩を否定するからである。そもそもダーウィンは「種」を実在しない恣意的なカテゴリーだと考えていた。皮肉にも本来、人種差別を否定し、人々の優劣を否定する理論が、その逆の役目を果たしたわけである」(251)。

著者は、道徳的な判断の適否は科学的な事実の真偽とは別問題であり、「平等と反差別は、科学的事実とは無関係に重視すべきものである」(309)という。本書の終章では、現在や未来のトランスヒューマニズムや遺伝学の技術の利用とその危険性についてかなりの紙幅を割いて論じられているが、こちらも傾聴に値する。改めて、専門の生物学者がこのように主張してくれているのは心強い。社会的判断においても冷静、という印象。

こちらも備忘、フランシス・ゴルトンの論文「祈りの効果に関する統計学的探究」(1872年)がかなりおもしろそうだったので、リンクを貼っておく(リプリント版)。
https://academic.oup.com/ije/article/41/4/923/689380

[J0499/240817]

佐藤俊樹『社会学の新地平』

副題「ウェーバーからルーマンへ」、岩波新書、2023年。

序章 現代社会学の生成と展開
第1章 「資本主義の精神」再訪:始まりの物語から
第2章 社会の比較分析:因果の緯糸と経糸
第3章 組織と意味のシステム:二一世紀の社会科学へ
終章 百年の環

力強いしかたで、新しいウェーバー解釈を提示する一冊。ポイントは、次のような点。

「近代資本主義を成立させた具体的な原因として、ウェーバーは一つではなく、少なくとも二つ考えていた。一つはいうまでもなく①プロテスタンティズムの禁欲倫理であり、もう一つは②会社の名の下で共同責任制をとり、会社固有の財産をもつ法人会社の制度である。少なくともその両方がなかれば、西洋でも近代資本主義は成立しなかった」(161)

1889年『中世における商事会社の歴史について』にはじまる、ウェーバーにおける組織論の重要性を強調しているほか、数理や計量の面でも先駆であることを主張。

さて、「資本主義の精神」について。

「日本語圏の解説の多くは、「資本主義の精神」をなんとなくかなり昔の、近代初期のことだと考えてきた。少なくとも、私自身はそう思い込んでいたが、実際には論文が発表される50年前ぐらいの出来事を、ウェーバーは描いているのである」(58)

「プロテスタンティズムの世俗内禁欲は、「神」会社の「仮社員」として死ぬまで働くことに等しい。他に社員はおらず、実際には全てを自分一人で決めて実行しなければならないから、ただの「仮社員」ではなく、「最高経営責任者(CEO)」かつ「正社員候補生」だ」(108)。

「近代資本主義の決定的な特徴を「自由な労働の合理的組織」に見出すというとらえ方は、だから30年にわたる彼の研究生活全体の結論でもある。20代の商法の研究も、30代後半の病気から回復してきて、40代に入るときに着手したプロテスタンティズムの禁欲倫理の研究も、そして50代の半ば過ぎで亡くなる前の比較分析も、一つの線でつながる。ウェーバーの研究は全体としてつながっているのだ」(140)

「儒教と道教」第4章について、「だからあえてウェーバーの「結論」を求めるとすれば、ここが一番ふさわしいだろう。つまり、ある程度の規模の経済社会において近代資本主義の成立/不成立の直接の原因になるのは、合理的な行政や司法の有無であり、それを社会的に支える重要な条件として、それと同型のしくみをもつ宗教倫理などがある。ウェーバーはそう考えていた」(160) 

同時に、「儒教と道教」の読みにくさについても説明(171-173)。元々の論文「儒教」に16世紀以降のデータを加えて大きく書き換えたのが「儒教と道教」であると。「ところが、分量がほぼ2倍になるほどの大改訂だったにもかかわらず、元の「儒教」に書き加える形にしたため、「儒教と道教」はひどく読みにくいものになった。論理展開が一貫せず、データの精度も大幅に上下する。近世中国史の知識がないと、そもそも何を書いているのか、わからない部分も少なくない」(173)。

さて、組織論について。

「上意下達(トップダウン)は組織を一回改革するには向いているが、日常の業務のなかで外部の環境の変化を素早くとらえ、対応を変えていくのには向いていない。・・・・・・上意下達は実際には、素早い決定が苦手なのである」(215);「よく誤解されるが、だからといって水平的な協働がつねに良く、階統型の業務処理がつねに悪いわけではない」(221)。

ウェーバーの合理的組織論・官僚制論の限界に対し「このしくみを意思決定の連鎖として、新たにモデル化したのは〔H・A・〕サイモンである。それをさらにルーマンは、コミュニケーションのシステムとしてとらえ直した。特に、この連鎖での決定がつねに時間的なものであることに注目して、その意味を深く考察した。基本的にはそれがそのまま「組織の自己産出系」と呼ばれるものになる」(218)。

このように、ルーマン社会学の原型である「組織の自己産出(自己準拠)」を、合理的組織論の展開として捉える。他方。

「因果分析の方法論に関しては、むしろルーマンの方が混乱しており、それが彼のわかりにくさを創り出した面も否定できない。例えばルーマンは「因果から機能へ」の転換を主張したが、余計な文飾や哲学談義を取り払えば、その内実は「原因と結果はつねに一対一で対応するわけではない」である」(265)。

本書における著者の主張は一貫しており、首肯できる部分も少なくない。一方で、ウェーバーの議論を大幅に組織論の方に寄せた著者の解釈のもとでは、なぜウェーバーが、古代ユダヤ教にはじまり、『宗教社会学論集』に収められることになった宗教史的研究にあれほどの力を注いだのかがよく分からなくなっている。

[J0498/240815]

【メモ】
1889年『中世における商事会社の歴史について』について、丸山尚士氏による翻訳。