Page 198 of 241

奥武則『蓮門教衰亡史』

現代企画室、1988年。蓮門教といえば、コレラ流行時に病気治しで教勢を伸ばし、万朝報の淫祠邪教キャンペーンで潰された明治の新宗教というくらいの理解。おそらくこの本が今日にいたるまで、蓮門教の歴史を中心に扱った唯一の書ではないかと思われる。著者はもともと毎日新聞の記者で、旺盛な著述活動を続けて、黒岩涙香の側の評伝も書いているもよう。

序 章 一枚の写真
第一章 前史
第二章 教祖誕生
第三章 発展
第四章 全盛期
第五章 淫祠邪教
第六章 滅亡
第七章 なぜ滅びたのか
終 章 民衆宗教と天皇制

著者も書いているように、滅びてしまった宗教だけにその実態に迫りうる史料は限られている。それでも、ていねいな周辺史料の検討から、知らない事実がいろいろと。

教祖島村みつは、1831年小倉に生まれて1882年に上京、神道大成派に所属しながら布教活動を展開。教導職としてもどんどん昇進している。1891年には尾崎紅葉が蓮門教をモデルにした「紅白毒饅頭」を連載、1894年から『万朝報』が「淫祠蓮門教会」を連載。みつは1904年に死去している。

蓮門教は『万朝報』に対抗して新聞広告を出したり、訴訟を起こしたりしており、いったんは勝訴しているが、すぐに訴訟を取り下げている。どうもこうした手段に訴えたことが教団内でも世間でも評判がよくなかったらしく、結局はプラスにはならなかったらしい。

著者は、同じように淫祠邪教攻撃に遭いながら今日にいたっている天理教と対照させて、蓮門教が滅亡した理由を次のように考察している。ひとつ目に組織的な弱さ。ふたつ目に、息子の早逝など、後継者難。飯降伊蔵や大本の出口王仁三郎のような「第二の人物」の不足。さらに、宗教としての脆弱さとして、中山みきと比べた「みつの矮小さは覆うべくもない」と指摘する(193)。「みつの遺言を前に取り上げた。そこでもみつは、自らの作り上げた財産に執着し、その行方をひたすら案じるだけの老女である」(193)。

著者によれば、中山みきも島村みつも、江戸時代に淵源する生き神信仰の系譜上にある。それだけではない。現人神としての天皇を掲げるところの近代天皇制も同様である。
「近代天皇制は、一つの疑似民衆宗教だった。あるいはそう、少なくとも、そうした一面を持っていた。それは近代資本制社会の形成とともに出口をふさがれた底辺民衆の「祈り」を天皇制という幻想の共同体の中に吸い上げ、体制の安定を保障する装置だった」(222-223)。

こうして、近代天皇制化の宗教統制や弾圧は次のように説明される。
「疑似民衆宗教・近代天皇制は、民衆の心性の回路として有効に機能するために、現人神に拮抗する生き神の権威を掲げた民衆宗教の存在を許容することはできなかった。つまり、民衆宗教が民衆教として発展しようとするとき、それは不可避的に「体制への異端」となり、正統宗教たる疑似民衆宗教と相入れないものとして弾圧されたのである」(223)。

[J0117/201225]

杉本仁『民俗選挙のゆくえ』

梟社、2017年。日本独特の地方選挙を追って、ジェラルド・カーティス『代議士の誕生』が正統派のアプローチだとしたら、この書は異色の切り口。「民俗選挙」ということばひとつで、言い尽くされているね。津軽と甲州を対象に、あれこれの話題を拾って、最後は太宰治の長兄文治と、金丸信を取り上げ、柳田國男『明治大正史世相篇』に戻って締める。

序章 選挙楽しや牛馬にゆられ
1 津軽と甲州―その気質
2 津軽選挙の発生―金木町長選不正開票事件
3 二人町長と代理戦争―鯵ヶ沢選挙と大泉村長選
4 出稼ぎと行商―不在者投票
5 神仏の力と選挙タタリ
6 カネの力と悪銭
7 飲食の力と食物禁忌
8 無尽と葬式
9 村八分と地域ぐるみ
10 オヤコ選挙と骨肉の戦い
11 口碑と文芸
12 二人の政治家―津島文治と金丸信
終章 民俗選挙のゆくえ―柳田国男をめぐって

ネタとして興味を惹く話題が山盛り。取りあげればいろいろあるが、とくに気になったところを一箇所だけ。

「選挙神輿にのせ、揺さぶるのに婿養子は格好の餌食であった。村選挙はイジメの側面がある。タマ〔候補者〕は当選するまではイジメぬかれる。・・・・・・カネの要求は、尽きることがない。気心を知ったオイツキ(生付き)にはできない法外なかずかずの要求が待っていた。そこで立候補に二の足を踏むタマも少なくなかった。だが、イリットは、ムラから認知されるためにも、荒神輿に乗らなければならなかった。この供犠的役割を果たしたのが婿養子であった」(112)。

うーむ、話として聞けば面白いが、本当のことだとおもったら凄かね。[J0116/201223]

ジェラルド・カーティス『代議士の誕生』

山岡清二・大野一訳、日経BP社、原著Election Campaigning Japanese Style は1971年出版、その後邦訳され、なんどか改版を経て2009年に出版された新版。

二〇〇九年版まえがき―政権交代がなぜ今起きたのか
はじめに―日本の選挙と私
第1章 代議士への関門―党公認の力学
第2章 固定票と農村戦術―垂直型組織の構造
第3章 地盤の壁―農村戦術の展開
第4章 保守浮動票―都市戦術の構築
第5章 後援会―一般票の組織化
第6章 運動なき運動―後援会と事前運動
第7章 自民党と利益団体―組織的支援の実態
第8章 握手と資金―終盤戦の戦術
第9章 代議士の誕生―伝統と変革のなかの選挙運動

舞台は1960年代、別府市や杵築市、豊後高田市を抱える大分県第二区。1967年の衆議院選挙に初当選を果たす地方政治家佐藤文生を追って、日本の地方選挙のしくみを描き出す。自民党から複数候補が立ってそれぞれの地盤のもとに競いあう中選挙区時代の動向がよく分かる。

当時の著者は、ここで描いている集票システムを、やがて来たるマスメディア時代には衰退するだろう生き残りとして捉えているが、少なくともその後数十年はしぶとく力を持ったシステムだろう。たしかに1996年の小選挙区制導入を画期として消えていった風景かもしれないが、「当時の当たり前」をきちんと記録しておくことの重要さを感じる。奇をてらったところのない記述が良い。著者は、外の立場に立って批判をしようとはしないし、理解はしてもことさらに擁護しようとするわけでもない。ここに描かれているのは、良くも悪くも恩義、世話、感謝、お礼の世界であり、かつ選挙戦としてはその論理に則った合理的判断が働いているところが面白い。

ところで、この『日経BPクラシックス』版はなかなか持ち心地がよいとおもったら、装丁は祖父江慎と佐藤亜沙実とな。

[J0115/201223]